さんまを焼く匂いほど、食欲中枢を刺激するものはない。ビールがプハぁである。生きる喜びを改めて感じるだろう。幸せとは意外に身近にあるものなのだ。ただ「さんま祭り」というイベントはどこにでもあるわけではない。かつて根室でさんま祭りに参加して感動したことがある。そりゃそうだ、根室はさんま水揚げ日本一なのだ。それでも敢えて言おう、さんまは目黒に限る。
品川区の目黒通りで「第9回目黒のさんま祭り」が行われた。平成16年9月12日のことである。
岩手県宮古港直送の新鮮さんま5,000匹、徳島県神山町直送の芳醇すだち10,000個、栃木県黒磯市高林直送の辛味大根、そして食べる所が目黒である。しかも無料で。これだけ揃えば、殿様でなくとも「さんまは目黒に限る」とのたまうであろう。
そもそも「目黒のさんま」とは、どのような話なのか。童門冬二『人生で必要なことはすべて落語で学んだ』(PHP文庫)では、三代将軍家光のエピソードが原話であることを紹介して、次のように続けている。
落語でも、ある殿様が早駆けに出掛ける話にしています。前に書いた目黒不動近辺の紅葉見物をかねて行ったのでしょう。そして家光と同じように、腹が減ったので、
「誰か食事を持て」
と命じました。ところが誰も弁当など持って来ていません。殿様は怒りました。するとどこからか魚を焼く煙が漂って来ました。匂いがいい。殿様が、
「あの魚を求めて参れ」
と命じました。魚は近くの農家で焼いていたさんまです。ちょうど脂の乗り切った時期なので旨い。殿様は満足しました。当時さんまは下魚(げうお)の扱いで、魚としては格が低かったのです。したがって、この日殿様がさんまを食べたことは屋敷に戻っても内緒にされました。しかし殿様はさんまの味が忘れられません。ある日親戚の家に行って、
「時分時(じぶんどき)です。お好みがあれば料理いたしますが」
と言われました。そこで殿様は、
「さんまを所望いたす」
と告げました。ところがこの屋敷でもさんまは下魚だとして扱いません。そこで馬を飛ばして魚河岸へ買いに行きました。さんまを買い込んで来ましたが料理番が一本一本骨を抜き、つみれにしてしまいました。しかも汁の具として出しました。殿様は眉をひそめます。
(あの時のさんまとはまったく違う)
そこで親戚にききました。
「このさんまは何方(いずかた)より取り寄せた?」
「日本橋の魚河岸でございます」
「それはいかん、さんまは目黒に限る」
「目黒のさんま祭り」の公式ホームページが掲載している落語のあらすじによると、殿様の名前は「松平出羽守」で時代は家光の頃だそうだ。
今年は9月4日(日)に第16回目黒のさんま祭りが開催される。宮古市から6000匹のさんまが届く。よかった。頑張れ宮古、心は共に在るぞ。祭りが盛り上がって、日本に生まれてよかったことを、宮古のさんまが目黒でいただけることのありがたさを実感してほしい。
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