地上の楽園というキャッチフレーズは政治的にイメージがよくないが、字義のみ理解するなら、ぜひ行ってみたいものだ。手元のパンフレットには「すぐそこの、楽園島」だとか「東京都亜熱帯区」の文字が躍る。八丈島で末吉温泉みはらしの湯に浸かって太平洋を眺めた時、定番ながら「極楽、ごくらく」と思ったものだ。
東京都八丈島八丈町大賀郷大里に「八丈島役所跡」がある。東京都指定の旧跡である。
このあたりの風景はどことなく異国的な印象があり、旅する気分を高揚させてくれる。『八丈島誌』(八丈町役場)の史跡・旧跡の項を読んでみよう。
玉石垣をめぐらした九〇〇〇平方メートルの構地は、三八〇年間の島政の中心地であったが、今は昔のおもかげをとどめるものは玉石垣だけになってしまった。
享禄元年(一五二八年)に、北条氏綱の臣中村又次郎が代官となって来島し、ここに陣屋を設けて島の政治を行なった。寛文九年(一六六九年)までは代官が直接渡島し、一時的ではあったが陣屋に居住していたので、島民は御仮屋と呼んでいた。寛文九年に代官の渡島が廃止され、手代制となっても御仮屋と呼ばれていたが、寛政十年の改革のとき、再び陣屋と称した。その陣屋の名称は、八丈島奉行の島役所となり、さらに島庁舎となったが、明治四十一年に支庁舎が向里に完成して、以来ここは政治とは全く関係のない土地となってしまった。
政治の中心だから何かと厳しいことも多かったに違いないが、今となっては昔のこと、ノスタルジックな風景のみが観光する私たちを迎えてくれた。
有名な観光地といえば「登龍(のぼりょう)峠の展望」。新東京百景(1982年東京都選定)に八丈島からただ一つ選ばれている。
向こうは八丈富士、こちらは三原山。二つの山から成りひょうたんの形をした八丈島は、井上ひさしの名作人形劇『ひょっこりひょうたん島』のイメージで売り出されたことがあった。
このたびの震災で大きな被害を受けた岩手県大槌町には吉里吉里地区があり『吉里吉里人』のモデルとなった。同じ大槌町にある蓬莱島はひょうたん島のモデルだとされている。広島県尾道市瀬戸田町のひょうたん島も同様にモデルだとされている。
各地にひょうたん島があるのはいいことだ。分かりやすい形をした島がみんな大好きなのだ。地上の楽園は案外身近なところにあるのかもしれない。