こんもりとして形が整った丘であれば誰でも古墳だと思うだろう。山でさえ四角錐になっていれば日本のピラミッドとミステリー扱いされるくらいだ。今日は埼玉県にある古墳ではない古い塚の話である。
埼玉県比企郡小川町大字上横田に「行人塚塚群」がある。ついつい自分の自転車を写してしまう。
一辺20mの方形の塚の周囲に15基の塚が密集しているというのである。典型的な群集墳だと思うだろう。現地の説明板を読んでみよう。
行人塚塚群は、一辺20mの方形を呈し高さ3.2mを測る主塚を中心に、周囲に15基の小円形もしくは方形の塚が密集している。長らく古墳群としてとらえられていたが、平成5年に発掘調査を行ったところ、近世の塚でおることが判明した。
主塚の頂部から比較的浅い部分に浅間A軽石(天明3年=1783年の浅間山大噴火の時に堆積したもの)が確誌され、土師器皿(カワラケ)や常滑焼の甕、宝篋印塔の隅飾突起部分の破片が出土し、その形態から江戸時代のものと推定される。また、隣にある第9号塚の調査では、塚の基底部分に炭化材を含む層がみられ、ここから寛永通宝が出土した。出土した寛永通宝は全て古寛永であり、その鋳造年代は1636年~1659年と考えられていることなどから、これ以降のさほどかけ離れない時期に築造されたものと推定される。
この塚群は埋納施設がないため、古墳や経塚とは考えられない。修法壇・十三塚・富士塚などの奉祭機能をもった塚がこの地域にも所在していることが知られており、時期は中世でも比較的新しい段階から近世になってからのものが多いことから、行人塚塚群も江戸時代前半に造営された奉祭機能をもった塚の可能性が高いと判断される。
要するにお墓ではなく宗教的行事の遺跡ということか。行人塚を『大辞泉』で調べると「行者が生きたまま埋葬され、即身成仏したと伝えられる塚。東日本に多い。」とある。となると、ますます気になるところだが、埋納施設がないというのだから、即身成仏がいらっしゃるのではないのだろう。
いずれにしても人の思いが込められた場所には間違いない。もしかしたらパワースポットの遺跡かもしれない。