博愛思想といえば赤十字社である。日本では西南戦争、世界ではイタリア統一戦争におけるソルフェリーノの戦いが、赤十字社設立の契機となったことは有名である。しかし、敵味方の区別なく人の命を大切にしようという考えは、決して近代の産物ではない。
藤沢市西富一丁目の遊行寺に「怨親(おんじん)平等の碑(敵味方供養塔)」がある。
時は中世、室町時代、若くして鎌倉公方となった足利持氏は、補佐役の関東管領・上杉氏憲(禅秀)と対立を深める。応永23年(1416)に氏憲は挙兵し鎌倉を占領、持氏を追い落とす。しかし、幕府は持氏を支援して、今川範政に氏憲を攻めさせる。氏憲が鎌倉で自害することで乱が収束する。世にいう上杉禅秀の乱である。そのままの名称だが…。
この関東における覇権争いが、博愛思想の史跡を生むのである。遊行寺のパンフレットを読んでみよう。
この乱によって両方に多くの死傷者が出たので、遊行十四代太空上人は、一山の僧と近在の人々と共に敵味方両軍の傷ついた人たちを収容して治療を行うとともに、戦没者を葬り敵味方の区別なく平等に供養し、供養塔を建立してその霊を弔いました。このような、いわゆる博愛思想をあらわす塔や碑は他にもありますが、この碑はその中でも最も古く、大正十五年に国の史跡に指定されています。
命を大切に思うのは思想ではなく本能である。博愛と同じような概念は人類誕生の大昔から存在したはずだ。しかし、それが目に見える形として今日に伝わったことが貴重なのだ。ここは日本人の心の文化遺産である。
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