米国連邦政府の直轄地をコロンビア特別区というが、普通にはワシントンD.C.と呼ばれている。江戸幕府の直轄地は天領、鎌倉幕府の直轄地は関東御領という。では、大和朝廷の直轄地を何と呼ぶでしょう? なんだか日本史のテストをしているようで恐縮だ。答えは「屯倉」でした。何と読むでしょう。はい、「みやけ」でした。
松原市三宅中四丁目に「屯倉神社」が鎮座する。
古代史の「屯倉」は聞いたことはあっても、どこにあったのかを具体的に指し示すことのできる人は少ない。そんな中でこの「屯倉神社」は、ここですよと教えてくれるランドマークである。まずは松原ライオンズクラブにより設置された説明板から一部を抜粋しよう。
開運松原六社参りのひとつ。平安時代前半の天慶5年(942)、菅原道真を祭神として創始されたと伝える。他に素盞嗚命・品陀別命も祀る。同地は古墳時代、天皇家の直轄とされた依網屯倉(よさみのみやけ)の旧跡と伝え、屯倉(三宅)の名もこれによる。道真を祀る以前は、土師氏(のち菅原氏に改姓)の祖神である天穂日命を祀る穂日の社があった。
ここは依網屯倉(よさみのみやけ)の旧跡だという。この屯倉は『日本書紀』巻第十一の仁徳天皇43年条に次のように記されている。(『日本書紀通釈(3)』、『仮名日本書紀(上)』から引用)
四十三年秋九月庚子朔。依網屯倉阿弭古捕異鳥。献於天皇曰。臣毎張網捕鳥。未曾得是鳥之類。故奇而献之。天皇召酒君示鳥曰。是何鳥矣。酒君對言。此鳥之類多在百濟。得馴而能從人。亦捷飛之掠諸鳥。百濟俗號此鳥曰倶知。是今時鷹也。
四十三年、秋九月、かのえねの朔日、依網のみやけの阿弭古あやしき鳥をとりて、天皇にたてまつりてまうさく、臣つねにあみをはりて鳥をとるに、いまだかつてこの鳥のたぐひをえず。故あやしみてこれをたてまつるとまうす。天皇さけの君をめして鳥をみせてのたまはく、是は何鳥ぞ。酒君こたへてまうさく、此鳥のたぐひおほく百済にはんべり、なつけてはよく人にしたかひ、とくとびてもろもろの鳥をかすむ、百済の俗この鳥をなつけてくちといふ、是今の鷹なり。
依網屯倉の管理をしている阿弭古(あびこ)が珍しい鳥を捕らえたので天皇に献上して申し上げた。
「わたしはいつも網を張って鳥を捕まえておりますが、今までこんな鳥は見たことがありません。珍しいことと思い献上いたしました」
天皇は百済の王族の酒君を呼んで鳥を見せ「この鳥は何か」とお尋ねになった。酒君は次のように答えた。
「この鳥は百済にはよくおります。馴らすとよく人の言うことをよく聞き、速く飛んでいろいろな鳥を捕まえてきます。百済の人々は倶知と名付けています」
これは今の鷹のことである。
大和川の向こう大阪市側には「大依羅(おおよさみ)神社」、「あびこ駅」がある。このあたり一帯が依網屯倉の関連地なのだろう。鷹が飛んでいたというが、想像するのが難しいほどの変貌である。
それにしても、さすがは仁徳天皇。その直轄地に良き臣下を持ち、宮廷に良きブレーンを得て、我が国の技術向上に功績を残された。
記事とは関係ないが、いよいよ金星の太陽面通過が始まる。見えるのかな?
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