夏は鍾乳洞や坑道跡など地下に涼を求める。鍾乳洞で自然の悠久さに感動するのもよいが、金山、銀山、あるいは銅山跡で人間と産業について考えるのもよかろう。特に銅山は日本の産業革命に大きく寄与した。銅山の歴史は産業技術発達史でもある。
地下がいいと書きながら宙に架かる鉄橋の話をしたい。新居浜市立川町に「旧別子鉱山鉄道 端出場(はでば)鉄橋(足谷川鉄橋)」がある。国の登録有形文化財である。「打除(うちよけ)鉄橋」「足谷川橋梁」「芦谷川橋」などの呼び方もある。
ここは別子銅山。東の足尾、西の別子と呼ばれた日本有数の銅山である。この貴重な産業遺産は「マイントピア別子」として現代人の観光ニーズを満足させる施設として再生している。観光坑道に行くには鉱山鉄道に乗る。鉄道の終着にお楽しみが待っているとは心憎い演出である。
別子鉱山鉄道は明治26年(1893)に開業し、昭和52年(1977)に廃止されたが、観光鉄道として一部が復活しているのだ。今日紹介している写真の鉄橋は開業時から残る産業遺産の一つである。どのような意義を有するのか、新居浜市が設置する説明板を読んでみよう。
打除鉄橋は、足谷川に架る橋として、小川東吾の設計施工で、明治24年(1891)5月に着工し、翌年の明治25年(1892)3月に竣工した。橋長は39.63m。鋼造ボートリング・ワーレントラス構造・組立式で、部材をピンで留める方式のピントラス橋である。ドイツのハーコート社から購入した。鋼材はドイツのアへーナー社。平行弦でなく、岸に対して60度の角度で架かっているめずらしい橋である。日本鉄橋100選に選ばれている。
マイントピア別子の観光鉄道として使用するときに、旧橋がそのまま使えなかったために、床組を新しい箱桁にして形態保存を図っている。
小川東吾は茨城県初の工学博士の称号を得た鉄道技師で、現在の北相馬郡利根町出身の人物である。各地の鉄道関係の測量に携わった。JR中央本線下り線の笹子(ささご)隧道(山梨県)の笹子側入口には工事関係者の名を刻んだ碑板があり、監督として小川東吾の名が見られる。
小川東吾の実家に縁あって柳田國男が年少時代を過ごしたことがあり、現在は柳田國男記念公苑として保存されている。利根町は柳田國男第二の故郷と呼ばれている。
ボートリングとはボーストリングの誤りで、トラスの上が弓のようにカーブを描き、下が弦のように真っ直ぐな橋の形式(曲弦下路トラス)である。ワーレントラスとは斜材の向きを交互にしたトラスの構造(/\/\)である。ピントラスとは各部材を剛接合ではなくピン接合したトラス橋で、ドイツからの輸入材を組み立てるのに適していた。
平行弦ではなく曲弦なのは上記の通りだが、岸に対して斜めに架かる斜橋である。構造がそれほど珍しいとも思われないが、ドイツ製鉄道橋梁そのものの現存数が少なく貴重である。日本鉄橋100選は未詳である。
現在は橋梁の形態保存のためトラスには荷重がかからないようにしてある。今日は天気がいいから観光列車に乗れば気持ちよいだろう。端出場鉄橋を渡る時に、ドイツのおかげで日本の橋梁建設が発展したこと、その中で日本の技術者の人材育成が進んだこと、その陰に民俗学の誕生もあったこと、そんなことが思い出せたら最高の旅となるだろう。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。