「百夜通えば、つきあってあげる」
そんな小町の戯言(ざれごと)を真に受けた深草少将(ふかくさのしょうしょう)は一途(いちず)な男であった。よく知られた伝説では、九十九夜通ったものの最後の晩に息絶えたとされている。今日紹介するのは別の展開で、ストーカーまがいに小町を追いかけ、ついには大蛇に化身したという話とその後日談である。
岩出市根来(ねごろ)に「住持ヶ池(じゅうじがいけ)」がある。
日本の伝説39『紀州の伝説』(角川書店)所収の「住持ヶ池の主」の展開を要約しよう。
満願となる百日目、深草少将が小町の家を訪ねると、そこに人の気配はない。
「さては、あざむかれたか。なんという卑劣な仕打ち」
愛情は憎悪に一変し、熊野へと向かったという小町を追いかけ始める。
少将の気配を感じた小町は、熊野街道から脇道へ外れ根来方面へと向かう。
小町の行方を聞き出した少将は、住持ヶ池のほとりで小町に追いつく。
聞けば、少将をあざむいた罪滅ぼしのため池に身を投げるとのこと。
「ならば私も一緒に死のう。死ぬ前に一目、そなたの美しい顔を見せてはくれぬか」
そう言って、顔を隠す袖を上げてみると、小町ではなくその侍女であった。
少将の形相が見る見るうちに邪鬼のように変じる。
「憎んでも憎み足りぬ小町め。われはこの池に身を沈め執念の蛇に変じ、主となって、汝を呪い殺さでおくまいぞ。たとえ、千里万里の彼方に逃れようとも、天に舞い上がり、地に這いくぐって、汝の魂を奪い取って見せようぞ」
そう言い残して池に身を躍らせた少将は、大蛇となって深く沈んでいった。
一方、このことを伝え聞いた小町は、自分の非を悔い小寺を建て少将の供養塔を築いた。そして、寺の傍に庵を結んで誦経三昧に明け暮れたが、日一日と衰え亡くなったという。最後に言い残したのは、深草少将への詫びと「もし私の生まれ変わりとして、この地に娘が生まれたなら、その子を少将様に差し上げましょう」という奇妙な予言だった。
あな、おそろしや。ここまででも十分迫力ある物語となっているが、ここからの後日談が今日の本題である。
村人は小町の建てた寺を小野寺と呼び、少将の供養塔に並べて小町の墓を建てた。小野寺の小町墓に祈願すれば、必ず子が授かる。そんな言い伝えさえ生まれた。小町は9世紀の人物だが、それから200年ほど後のことである。室家右兵衛尉忠家(むろやうひょうえのじょうただいえ)という大金持ちがいた。子宝に恵まれぬのが唯一の悩みだったが、小町の墓に参ったおかげで桂姫という女の子をもうけることができた。
続きは『紀州の伝説』から引用しよう。
康和のころ(一〇九九~一一〇四)、根来山の麓、西坂本に室家忠家という豪家があり、桂(かつら)という一人娘がいた。美しい桂にはただ一つ、縮れ髪という欠点があった。しかし、不思議なことに、櫛も通らぬその髪が住持ヶ池の水をつけると、するするとよく通り瑠璃(るり)のように艶(なまめ)いた。住持ヶ池の水で髪を梳くようになった桂のもとに、いつのころからか、夜ごと夜ごと、どこからともなく美男が忍び入り、どこへともなく立ち去った。
ちょうどそのころ、桂は、和泉国の大原源蔵という北面の武士に嫁ぐことに決まった。やがてその日、輿入れの行列が、住持ヶ池の堤にさしかかったとき、突然、空がかき曇り、雷鳴とともに雨風が吹きつけた。と思うと、空は再びからりと晴れたが、桂の姿は駕籠の中から消え、どこにも見当たらなかった。桂の母は毎日堤へ来て、もう一度娘の顔が見たいものだと嘆いていると、不意に激しい水音とともに大蛇と桂が姿を現わしたが、すぐ消え、池の中には二匹の大蛇が仲よく泳いでいたという。
深草少将に小町が差し上げた娘が桂姫だったというわけか。この世にも奇妙で悲劇的な物語は子守唄にもなっている。「ねんね根来のよう鳴る鐘は」で始まる『根来の子守唄』には、次のような歌詞がある。
さんさ坂本室家の娘
嫁に行たとは住蛇池
住蛇池とは住持ヶ池のことである。物語を念頭に先の写真を眺めよう。何かが現れても不思議ではない静かな池であった。