小倉百人一首56番は「あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」という和泉式部の歌である。死ぬ前にもう一度会いたい!という強烈なメッセージで、恋多き女、式部にふさわしい。
その式部が信仰の道に入り各地を遍歴する。備後の歌島では神社を建立したという。人にとって安らぎとは何か。救いとは何か。恋には裏切られるが信仰は間違いない。式部はそう悟ったのだろうか。
尾道市向東町の向東八幡宮に「和泉式部手植の二本松」がある。
説明板には次のように記されている。
和泉式部手植の二本松
白檀樹(真柏) 樹齢約千年
平安中期(西暦九九〇年頃)和泉式部が宇佐八幡宮分霊を勧請し、当神社を建立した記念樹と伝へられる。
元は、これより西約十米の新手水舎付近に植えられていたが、昭和拾壱年頃境内整備工事のときに移植し枯れた。
和泉式部はふつう生没年未詳であるが、『日本伝奇伝説大事典』(角川書店)の「和泉式部」の項によれば、貞元二年(977)ころの出生だという。とすると990年には13歳くらいだ。ずいぶん早熟な子供であることよ。
向東八幡宮の創建を990年頃としているのは「正暦年中」という記録があるからだ。990~995に相当する。どうも、信仰の道に入るのは恋の遍歴の後というイメージがあるので、創建年はもう少し後に設定したほうがよかった。
いったい和泉式部が植えたのは、松なのかビャクダンなのか真柏(ビャクシン)なのか。この枯れた古樹はビャクシンのようだ。鎌倉の建長寺には樹齢750年という蘭渓道隆お手植えのビャクシンがある。
枯れることがなければ和泉式部お手植えのビャクシンは、蘭渓道隆のそれを上回っていたのかもしれない。やはり恋は信仰には勝てないということか。
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