最近、二千円札を見たことがない。10年ほど前にはコンビニのATMで出金すると二千円札が出てきて大喜びしたものだ。記念にとっておけばよかったが、いつの間にか使ってしまった。ずいぶんレアものだが、財布になければ価値はないも同じ。今日は二千円札に登場する人物の史跡である。
神戸市北区山田町藍那字下手に「紫式部の墓」がある。神戸電鉄粟生線の藍那駅のすぐ近くである。
基台に永和二年(1376)7月14日の銘が刻まれている。永和は南北朝時代に北朝が使用した年号で、室町幕府の基礎形成期である。この時代に紫式部が関係するはずがない。
しかし、『源氏物語』については南北朝時代を無視することはできない。順徳天皇の曾孫にあたる四辻善成(よつつじよしなり)が『源氏物語』注釈の大著『河海抄(かかいしょう)』を著したのが貞治六年(1367)頃というから同時代である。
神戸市北区山田町藍那字中小野に「和泉式部の墓」がある。
和泉式部は紫式部のライバルである。『紫式部日記』に和泉式部の人物評が書いてあることは以前に紹介した。
同じ山田町藍那にあっても同じ式部と呼ばれていても、実在の二人の式部とこれら二つの宝篋印塔とは何の関係もないだろう。全国各地に散在する和泉式部に係る塔は、中世に熊野比丘尼によって伝播された和泉式部伝説の証だという。
熊野比丘尼が語ったのは和泉式部による女人往生である。紫式部ではない。それでも、室町時代の様式の宝篋印塔が紫式部の墓と伝えられているのは、「式部」というつながりからに違いない。まず和泉式部伝説があって紫式部伝説が派生したのだ。
二人の式部が同居する場所、それが神戸市北区山田町藍那である。なんと文学の香り高い地であることか。
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