夏は滝。梅雨明けにはさらなり。水量が多くなって、豪快な流れを見ることができる。以前に徳島県神山町の雨乞の滝をレポートした。この時の滝見物は、雨乞いをしていないのに雨が降って大変だった。
今日紹介する滝は雨が降っていないのに濡れてしまう。水しぶきがミストとなって飛んでくるのだ。だから暑い夏には最適である。落差が大きくて雄大、駐車場に遊歩道完備でアクセスしやすいのも魅力である。
養父市大屋町筏(おおやちょういかだ)に「天滝(てんだき)」がある。日本の滝百選に選ばれている。一生に一度はとか、死ぬまでには見たい系の写真集が最近よく出ているが、それに掲載されてもよい見ごたえのある滝である。
天から舞い降りる龍のような滝だ。さんずいに龍と書く。百人一首風に言えば、むべ水龍を瀧といふらむ、である。何メートルあるのだろうか。説明板を読んでみよう。
天瀧は、県下最高峰の氷ノ山を源流に落差九八M(平成二年実測)と県下一を誇る名瀑で、その名の通り天から降るかのように流れ落ちる雄大さから、平成二年に「日本の滝百選」に選定されています。
この天瀧は、古く「大和長谷寺縁起」や「役の行者本記」にも書かれ、また、弘法大師が仏運興隆の地を求めて全国行脚した際、滝の霊気に打たれて「この地こそ仏陀の我に恵み給いし聖地」と、谷の数をかぞえたところ、千に一つ足らなかったため、居を高野山に求めた―との伝説が残っています。
また、登山口からの渓谷沿いの遊歩道は、原生林に囲まれ「森林浴の森日本百選」にも選定されています。
大屋町・筏区・天滝を生かす会
『大和長谷寺縁起』に記されているという。近代デジタルライブラリー「長谷寺縁起文」で漢字ばかりの文章をたどってみると、長谷寺を開いた徳道(とくどう)上人が何度も登場している。上人は天滝のある但馬の隣国、播磨の出身だから、何か関係があるのだろうか。また、縁起文中に「白瀧一萬段」との文字が出てくるが、これは絹織物のように思える。
『役の行者本記』にも記されているという。やはり近代デジタルライブラリーで「役行者本記」の長い漢文を見ることができる。行者は25歳の斉明天皇4年、摂津箕面山の滝で修業し、龍樹(りゅうじゅ)の浄土で灌頂(かんじょう)を受け、秘文を授かった。龍樹とは大乗仏教を大成したインドの高僧である。45歳の白鳳七年、西日本の教化のため諸国を巡った。播磨では青山と赤山に寄っているが、但馬の地名は見られない。全文をよく読めば、天滝を訪れたことも記述されているのだろうか。
また、弘法大師空海が根本道場を定める際に有力候補地となったという。谷の数が999で1つ足りないがために、高野山が本山になったとの伝説である。
今でこそアクセスがよいが、かつては、分け入っても分け入っても深い山、であったろう。修業の場にはまことにふさわしい。徳道上人、役行者、弘法大師と偉大な宗教家が登場するのも納得だ。
ただし、具体的な関わりが分かるのは弘法大師だけだ。もっとも似たような伝説は他所にもある。うちの山は高野山と互角だ。ただ谷が一つ少ねえだけだ。谷が一つ少ない代わりに素晴らしい滝がある。大師はどうしてそれを評価しなかったのか。
5日、来年の主要国首脳会議の開催地が三重県志摩市と決定し、「伊勢志摩サミット」と呼ばれることとなった。安倍首相が仙台市から広島市までの8か所から選定した。震災復興、核廃絶とさまざまなアピールがあったようだが、日本の伝統が勝利した。安倍さんらしい判断だ。新潟市、軽井沢町、浜松市、名古屋市、神戸市も候補地だった。警備実績などそれぞれのメリットがあったのだが、口惜しいことに谷一つ足りなかったようだ。
暑い夏は天滝に行こう。風に乗るミストは、マイナスイオンを運ぶのか霊力をもたらしてくれるのか。とにかくパワーが得られることは確実である。
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