TPPは進展しているのか停滞しているのか。安倍さんとオバマさんは26日、早めに決着したいね、と電話で話をしたそうだが、まだまだ課題は多い。その一つに酪農分野がある。
7月31日、酪農家でつくる日本酪農政治連盟は、乳製品など重要5品目の「聖域」確保を求めた国会決議を順守するよう政府に求め、デモ行進で「国内酪農を守れ」と訴えた。 全国から約700人が参加した。
これに対して、日本に強硬に輸入拡大を要求しているのがニュージーランドだ。乳価が下落し、あちらの酪農家も悲鳴を上げている。主力の乳製品、バターの販路拡大を強く求めているのだ。
双方の酪農家は生きるために懸命だ。いったい、どのような決着が図られるのだろうか。日本では品薄になりがちなバターだけに判断の苦しいところだ。
江戸時代のお百姓はバターや米の輸入に悩む必要がなかったが、お上からの搾取には苦しんでいた。今日は龍野藩で起きた百姓一揆の史跡をレポートする。
たつの市揖西町小犬丸(いっさいちょうこいぬまる)の琴坂に「琴坂一揆記念碑」がある。
龍野藩では、8代脇坂安董(やすただ)が天保八年(1837)に老中に昇進し、9代安宅(やすおり)も弘化二年(1845)に寺社奉行に就き、出世街道を歩んでいた。このため支出が増大し、財政再建の必要に迫られたのである。
藩庁は弘化四年(1847)、ついに増税を断行した。これまでの京枡を、新たにつくった大きな姫路枡にかえ、一俵につき一升の年貢を増徴することとしたのだ。
百姓の不満は高まり、嘉永二年(1849)に至って、ついに一揆が発生した。その様子を『近世義民年表』(吉川弘文館)で読んでみよう。
姫路枡使用、厳格な俵拵え等の年貢納入方法改悪に抗議し、嘉永2年1月12日に東村琴坂で集結した一揆は、長尾村・竹万村の庄屋宅を打ちこわしつつ、正条村川原まで押し出したが、藩により鎮圧された。捕縛をまぬがれた住吉村藤左衛門と中垣内村文右衛門は、江戸にて直訴することをめざしたが、伏見にて捕縛された。小田村又兵衛と住吉村藤左衛門が入牢、小田村2人、中垣内村1人が村追放となったが、年貢納入方法は改善された。
40か村約1万人の群衆が一揆に参加したという。藩は90人を召し捕え、上記のような処分を下した。入牢させられた小田村の水谷又兵衛は、嘉永四年(1851)4月16日に牢内で亡くなる。享年は29とも33とも伝わる。記念碑には、「水谷又兵衛」「義挙」の文字を見ることができる。村人の感謝の気持ちが記念碑に込められているのだ。
藩は事態のさらなる悪化を恐れ、年貢増徴策を取りやめ、被害の補償も行った。又兵衛の牢死と引きかえに得られた、農民側の勝利であった。
一揆に対する穏便な対応が功を奏したのか、藩主脇坂安宅は、寺社奉行から京都所司代、老中へと出世を遂げる。老中では外国掛として、困難を極めた幕末の外交に携わった。思えば、この時も通商問題がこじれていたのだった。
さて、現代日本の通商問題、TPPである。国民生活に直接影響を及ぼすだけに、慎重な交渉が必要だ。あちら立てればこちらが立たずの状況下で、甘利大臣の苦労やいかばかりかと思う。
交渉は大臣にお任せしなければならないが、国民はそれぞれの立場で主張することが大切だ。民衆の思いこそ歴史を動かす力なのだから。
ならば私は何を主張するのか。こづかいの少ない消費者として低価格を求めるか、将来を憂う国民として食糧安全保障を重視するか、ここが思案のしどころである。