帆布は今やおしゃれなアイテムの素材の代表格になっている。トートバッグは丈夫でカジュアルしかも上品で、「倉敷帆布」や「一澤信三郎帆布」というブランドが人気のようだ。
その帆布、もとは字面のとおり船の帆だった。日本の帆布は18世紀の末頃に革命的な進歩を遂げた。今日は、帆布の技術革新を行った実業家を紹介する。
高砂市高砂町横町の十輪寺の墓地に「工楽松右衛門(くらくまつえもん)之墓」がある。珍しい形の墓碑には「工楽松翁塚」と刻まれている。
帆布の改良は、今で言えば自動車エンジンの燃費向上に等しい。輸送能力がアップすることで経済が発展したのである。まさにイノベーションである。『再版 神戸市史 別録一』(昭12)の「近世人物列伝」工楽松右衛門の項を読んでみよう。
従来我国一般に用ゐられし帆布が、普通の綿布二枚乃至三枚を重ね、綿糸を以て之を縫綴するのみにて、其質麁糙(そぞう)脆弱永久の使用に耐へず、且つ其針繍に幾多の労力と時間とを費さゞるべからざりしを以て、松右衛門これが改良に苦心すること数年、遂に天明五年四月に至り其発明を完成し、工場を佐比江(さびえ)町竝に播磨の二見(ふたみ)に設け、製織に著手せしも、其初め販路広からざりしに、適々(たまたま)兵庫の船具商喜多二平も亦帆布の改良に苦慮せし際とて、松右衛門織る所の帆布の精緻なるを見、販売に尽力する所あり、先づ其宗家なる北風荘右衛門と関係ある北国廻船の船員等に購求方を勧奨し、漸次之を他の廻船業者に及ぼし、竟(つい)に全国の大小船舶に賞用せらるゝに至れり。世人此帆を称して松右衛門帆といふ。
かつて我が国の帆布は、ふつうの綿布を2~3枚重ねて縫い合わせたものだったが、質が悪く長期間の使用に耐えられず、縫うのにずいぶん労力と時間がかかった。松右衛門は改良を重ねること数年、天明5年(1785)4月、ついに新しい帆布を開発したのである。工場を今の神戸市兵庫区佐比江町と明石市二見町に設け製造を始めたが、販路が広がらず困っていた。ちょうどその頃、兵庫で船具を扱っている喜多二平も帆布の改良に苦心していた。二平は松右衛門の開発した帆布が綿密に作られているのを見て、これを売り出すことにした。まず、宗家である北風荘右衛門と関係のある業者に売り込み、だんだんと手広く商売し、ついに全国の船で用いられるようになった。世の人々は、この新しい帆布を「松右衛門帆」と呼んだ。
北風荘右衛門は兵庫の豪商であり、彼の北前船が松右衛門帆を採用することで、全国標準の帆布となったのである。高砂出身の工楽松右衛門を『神戸市史』が紹介するのは、流通のイノベーションは神戸から始まったと意義付けることができるからだ。
工楽松右衛門の事績は、松右衛門帆の開発だけにとどまらない。現在の北方領土、択捉島中央部に有萌(ありもい)湾がある。ここに港を築いた功績を幕府から賞され、享和二年(1802)に名字帯刀が許された。「工楽(くらく)」という姓はこの時賜ったものである。
その後、函館、地元の高砂、備後の鞆の浦でも港湾の整備に尽力した。また、北前航路で活躍した松右衛門は「新巻鮭(あらまきじゃけ)」を考案したという。ただし、新巻鮭は江戸時代初期に大槌城(岩手県上閉伊郡大槌町)の大槌孫八郎貞政が開発したともいわれている。
おそらく大槌孫八郎が考案した新巻鮭を甘塩に改良して、自慢の早船で市場へ届けたのが、工楽松右衛門だったのではないか。新巻鮭は流通革命の産物であった。
高砂市高砂町今津町の「工楽松右衛門旧宅」が、今年1月28日付で市指定文化財(史跡)に指定された。江戸時代後期の建築で、高砂の繁栄を物語るものとして整備が進むらしい。
高砂には、平成26年に商標登録された「松右衛門帆」という帆布アイテムのブランドがあり、トート、ボディバッグ、ショルダー、ポーチなどを取り揃えている。同じ兵庫県の特産ブランド、豊岡鞄とコラボした製品もある。帆布の元祖、松右衛門帆は見事に現代に復活した。これからの成長が楽しみだ。
江戸後期の農学者、大蔵永常は文政5年(1822)の『農具便利論』巻之下で、工楽松右衛門を次のように評している。
其志ざす所無欲にして、皆後人のためになる事を而已(のみ)、生涯心を用ひたりき、予は此の人に逢見ん事思ふ日久しかりしに、終に文化壬申秋八月、歯(とし)七十にして身まかられしとぞ、とく往て相見えざることを悔れども詮なし。
同時代の人から公益を重んじたと褒めたたえられ、惜しまれながら亡くなった工楽松右衛門。社会の発展の原動力は、工夫を楽しむことであった。
利七屋孫兵衛さま
いつもありがとうございます。技術革新による社会の発展の典型例のように感じました。流通業は今も昔も常に進化し続けているように思います。
投稿情報: 玉山 | 2016/05/19 19:36
司馬遼太郎の「菜の花の沖」に登場しますね。我が家の祖父以前も弁財船で廻船業をしていましたが、この類の帆布製品を使っていた者と思います。
投稿情報: 利七屋孫兵衛 | 2016/05/18 23:17