「廃鉄」という趣味の一分野がある。鉄道ファン廃線派をいう。芸術重視の「撮り鉄」は美を追求し、技術重視の「車両鉄」はメカニズムに詳しく、本来の目的に忠実な「乗り鉄」は経常利益アップに貢献している。
「廃鉄」は鉄道会社に直接利益をもたらしているわけではないが、その末長い存続を願うからこそ、失われた鉄路を心から惜しむのである。その歴史重視の姿勢は、史跡を巡る人々の心性に通じるものがある。
高砂市高砂町横町(たかさごちょうよこまち)にロータリーがあり、その中心に動輪がモニュメントとして置かれている。「国鉄高砂駅跡」である。
地図を見る楽しみの一つに、廃線の痕跡を探すというというのがある。それはあたかも江戸時代の街道や往来を地図上に見いだすようなものだ。
駅前でもないのに唐突にロータリーが現れた印象があるが、南北方向に地図をたどれば、鉄道らしい緩いカーブを見つけることができる。ロータリーができるほど広い敷地には、かつて国鉄の駅があった。説明板を読んでみよう。
国鉄高砂駅跡
加古川流域の特産品などの貨物輸送及び旅客輸送を目的に設立された播州鉄道が、三菱製紙、鐘淵紡績の貨物及び旅客輸送のために高砂と加古川を結ぶ路線として、大正3年(1914年)9月、延伸開通し、白砂青松で名高いこの地に高砂駅、高砂浦駅(後の高砂港駅)が開業し、加古川の舟運が終えんを告げた。
大正12年(1923年)12月、播丹鉄道に譲渡された。
昭和18年(1943年)6月、造兵廠の設置等に伴い、国有化され国鉄高砂線となった。
戦後、沿線への企業進出に伴い活気を呈していたが、モータリゼーションの進展による貨物・旅客輸送量の減少等により、昭和59年(1984年)2月に高砂駅-高砂港駅間が、同年11月末に加古川駅-高砂駅間が廃止され、高砂駅も廃止された。
高砂みなとまちづくり構想推進協議会
高砂駅からは加古川駅経由で大阪方面に行くことができたが、同じ行くなら山陽電鉄で出かけるほうがよほど便利だ。また、工場につながる専用線では貨物輸送がさかんだったが、トラック輸送に取って代わられた。
高砂線本線と国鉄高砂工場などにつながる専用線とが合流する地点に、腕木式信号機がモニュメントとして保存されている。写真の緩いカーブは専用線で、左手の本線と合流して高砂駅に至る。
説明文にある造兵廠が戦後に国鉄高砂工場となり、現在はサントリー高砂工場となっている。ウーロン茶や伊右衛門、BOSSを生産しているという。軍需品から鉄道車両、ソフトドリンクへと、時代によって生産品が変化した。
舟運の終焉からモータリゼーション全盛までの時代を駆け抜け、今は遊歩道とモニュメントのみが記憶のよすがとなっている高砂線。廃線派のファンが遊歩道を歩く。おそらく彼らは、ディーゼルエンジンの音を思い浮かべていることだろう。