「熱狂!アニメ経済圏」を特集した『週刊東洋経済』4月1日号が面白かった。今や2兆円という空前の市場規模となったアニメは、単にテレビや映画を視聴するだけの消費にとどまらない。DVD-BOXやキャラグッズの販売、販促キャンペーンとのタイアップから「聖地巡礼」による観光振興に至るまで、波及する経済効果はとどまるところを知らない。
JR瀬戸大橋線で「ひるね姫×くらしきラッピングトレイン」が運行されている。写真は備中箕島駅に停車中の電車で、行先の倉敷市児島地区には、上映中の「ひるね姫~知らないワタシの物語~」の舞台となっている下津井(しもつい)がある。そこには初めてなのに懐かしい風景が広がっている。
「ひるね姫」の神山健治監督が上記週刊誌で「震災以降は変わらない日常こそがファンタジーになってしまった」と語っているが、けだし至言であろう。青い鳥は身近な場所にこそいるものなのだ。日常風景がアニメとなって輝きを増し、アニメに描かれた風景を聖地に見立てて巡礼する。日常の再発見をアニメが促しているのだ。
倉敷市下津井に岡山県指定史跡の「下津井城跡」がある。写真は本丸跡とそれに隣接する天守跡である。
知名度は高くないが、規模の大きな近世城郭である。どのような天守があったのか。瀬戸内海を見渡すことができ、瀬戸内海を往来する船からも目にすることができるランドマークであったに違いない。では、城主は誰なのか。城の歴史を説明板で読んでみよう。
この城は慶長のはじめ宇喜多秀家によって築かれたが、後、小早川の家臣平岡石見が居城、次いで慶長8年(1603)の池田忠雄入国と共に老臣池田河内守長政(禄高三万二千石)の守るところとなり、城郭に一大整備がなされ、城は慶長11年に現在の遺構にみるような本格的な形態をととのえるに至る。後、池田由之、荒尾但馬、池田由成の歴代城主を経て、一国一城の制令のため寛永16年(1639)廃城となる。
宇喜多、小早川、池田といった大名ではなく、その家臣の居城だったようだ。その城主を紹介しよう。小早川家の家臣、平岡石見こと平岡頼勝は、秀秋の死後に美濃徳野(可児市)で大名となった。岡山藩池田家の家臣、池田長政は西国将軍輝政の弟で、彼の時代に城は整備された。子孫は岡山藩周匝陣屋で領主となった。荒尾但馬こと荒尾成房・成利の父子は、子孫が鳥取藩米子城代を務めた。池田由之は輝政の甥、由成は由之の子で、下津井城の廃城後は天城陣屋に移った。この天城池田家は池田輝政の長兄の家系であることから、岡山藩主家は特に丁重に遇したという。
倉敷市藤戸町天城の正福寺山門は「旧下津井城の城門」で、下津井城建造物の数少ない遺構である。
三万二千石を誇る領主の居城、当時の下津井城はさぞかし威容を誇っていたことだろう。その城下町が「ひるね姫」の舞台である。瀬戸大橋は描かれるが、下津井城は出てこない。もちろん歴代の下津井城主も登場しないが、名物の干しダコは描かれている。一国一城令さえなければ、「ひるね姫」のポスターに下津井城天守が描かれていたであろうに。
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