古墳はむかし輝いていた。そう聞いてもイメージできなかったが、神戸で五色塚古墳を見て納得した。葺石に覆われた古墳は現代美術のように斬新で、周囲の住宅街とよく調和している。築造当時は周囲の緑との対比でひときわ輝いて見え、ランドマークと認識されていたことだろう。
岡山市中区湊(みなと)に前方後円墳の「湊茶臼山古墳」がある。写真ではよく分からないが、奥が後円部である。
墳長は約125mもあり、古墳時代前期(5世紀初頭)の築造と考えられている。吉備最大の造山古墳が出現する少し前の時代だ。
古墳がある丘陵地の南側は、干拓によってできた水田地帯である。ここから見ると、左が後円部、右が前方部という墳形を確認できる。干拓地が瀬戸内海の一部だった古墳時代には、五色塚と同じく船から視認できるランドマークだったろう。ただし、湊茶臼山には葺石がなかったらしい。
岡山市教育委員会の発掘調査によれば、注目される成果として「島状遺構や周堤の存在、朝鮮半島産の土器とみられる遺物の出土」があり、今後の課題として「中心的な埋葬がない可能性や古墳自体が未完成である可能性」が明らかになったそうだ。
島状遺構は、4世紀後半~5世紀初頭の限られた時期に畿内を中心に出現しており、大和と吉備との密接な関係を想像させる。また、葺石がなく中心的な埋葬もないとなれば、未完成である可能性も高い。勢力争いに敗れるなど、何らかの事情があったのだろうか。
古墳は見てもらってナンボ。理系女子の研究員に限らず、人も磨いてこそ美しく輝くもの。「人は見た目が100パーセント」、いや、古墳こそ見栄えが大切だ。
湊茶臼山古墳がもし完成していたなら、という夢想をお許しいただきたい。古墳は、南方に広がる瀬戸内海を航行する船から燦然と輝いて見え、古代吉備王国の威光をあまねく伝えることができたであろうに。
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