現代の都市には個性がなく、同じようなビルばかりで、ほとんどリトル・トーキョー(小東京)だと思う。これに対し、日本的な情緒が町並みとして残る場所、小京都は限られている。現在、全国京都会議に加盟しているのは本家京都を含め46都市ある。しかし名乗りは自由で、金沢など加盟していない有名都市も多い。
本日は、安芸の小京都をレポートする。ここ竹原も加盟していないが、町並み保存地区はとりわけ美しく、時空を超えているような気になる。なかでも気になるのはこの建物だ。
竹原市本町三丁目に市指定文化財の「普明閣(ふめいかく)」がある。
竜宮城のようにも見えるこの建物は、誰がいつ建て、何を意味しているのだろうか。『総覧日本の建築』8(新建築社)では、次のように説明されている。
普明閣は京都の清水寺の舞台を模して小早川隆景によって建立された観音堂で、現在のものは明和2年(1765)に再建された。この普明閣は西方寺本堂横の高台に位置し、方三間二重の主屋の前方に入母屋造妻入りの舞台を懸造(かけづくり)として設けており、これが清水寺を模している部分になる。
小早川隆景は毛利元就の実子だが、竹原小早川家に乞われて養子となる。のちに沼田小早川家も統合し、毛利両川の一翼として活躍する。さらに豊臣政権下では五大老の一人として重きをなすのである。京での滞在も長かったから、清水の舞台も見たに違いない。故郷の竹原に錦を飾る意味で、ミニ舞台をプレゼントしたのだろう。
私は清水寺に、昭和50年代の修学旅行以来、行ったことがない。見たこともないような大きなお寺だった印象が残っている。竹原の普明閣は、清水の舞台とは規模も色合いも異なるが、懸造という技法は共通している。崖(がけ)に造るから「がけづくり」とも言うそうだ。高い場所にあるから眺めが良いのも同じだ。
高層ビルがないので気持ちよく見通すことができる。いらかの波と雲の波♪という歌が思い浮かぶ。
普明閣のある西方寺にのぼる石段。映画『時をかける少女』で原田知世演じる主人公が通学路として使っていた。確かに竹原は絵になる町だ。古くからの町並みがあるだけでなく、清水の舞台を模した普明閣がランドマークとなって、小京都のイメージを増幅している。
参考までに書いておくが、竹原はアニメ『たまゆら』の聖地でもある。聖地巡礼の若者、落ち着いた雰囲気の町並みを楽しむ老夫婦、史跡を巡り藤井酒造で酒を求める私など、さまざまな世代の人が時をかける旅をしているのだ。