「ザギンでチャンネーとシースー」と業界人が本当に言っていたのかは知らないが、ザキンこと銀座でバブリーな消費をするのは一種のステータスである。ただでさえ煌びやかな街が「銀」という字でいっそうブリリアントに輝く。こんな街のチャンネーはさぞかし美しいのだろう。
銀座は東京だけでなく、全国各地にご当地銀座がある。このブログでも超マイナーな「福島銀座」を紹介した。要するに「銀座」は繁華街の代名詞なのだが、ご当地銀座まで「ザギン」とは呼ばない。銀座の家元、東京だけがザギンの呼称を認められている。
銀座と言っても一丁目から八丁目までずいぶんと広いのだが、その「発祥の地」を見つけたのでレポートする。
東京都中央区銀座二丁目に「銀座発祥の地」がある。
碑の目の前はティファニー銀座本店である。世界的なジュエリーの店だけに「発祥の地」を名のる資格がありそうだが、この地への出店は1996年だから、まったく関係ない。碑の説明を読んでみよう。
銀座役所趾
慶長十七年(紀元二二七二年 西暦一六一二年)
徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ明治二年逐に銀座を町名とする事に公示さる
昭和三十年四月一日建之 銀座通聯合会
貨幣の鋳造は権力掌握の象徴的行為である。事実、権力という裏付けのない貨幣は信用されない。江戸幕府は主要な金銀山を掌握し、金、銀、銭という三貨を基本とする貨幣制度を整えた。このうち「銀座」は銀貨幣を鋳造していた役所である。ちなみに「金座」は、現在の日本銀行本店のあたりにあった。「金座」「銀座」という言葉のイメージは今に生きている。
この地にあった銀座は寛政十二年(1800)、寛政の改革の一環として蠣殻(かきがら)町(中央区日本橋人形町1丁目)に移転させられた。銀座の地から役所の銀座はなくなったが、地名だけは後世に伝えられ、ご当地銀座として全国に広まることとなった。そう考えると、ここは単に銀座役所跡地ではなく、銀座発祥の地ということができる。ただし、ザギン発祥の地ではないので、念のため。
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