この夏、チェコのエルベ川で「飢餓の岩」が出現し、人々が恐れおののいたそうだ。ふだんは水没しているが、日照りが続くと水位が下がり、凶作を引き起こすほか河川による物流の障害となる。このため、過去に何度も飢饉が発生してきた。岩には「私を見たら涙すべし」と刻まれているという。
西条市三芳に「開木のお地蔵さん」がある。
物流が円滑なこの現代ヨーロッパで飢饉が発生するとは思えないが、過去に何があったのか知っておく意味は大きい。それは我が国でも同じこと。平成29年度の食料自給率がカロリーベースで38%という日本は、国際物流がストップすれば「サヤウナラ」なのだ。
伊予三芳駅から歩いてやってきたのは、この可愛いお地蔵さまを拝見するためだ。地元の方がとても大切になさっている様子がよく分かる。由来については、説明板に教えてもらうこととしよう。
開木のお地蔵さんは小さなかわいいお地蔵さんである。明和三年(一七六四)開木に住んでいた藤原という人が河原津の石屋に作らせたといわれている。そのころは凶作、飢饉があり小さな子どもたちも大勢亡くなった。亡くなった子どもへの供養のためお地蔵さんを祭ったのであろう。
毎年八月二十四日の夜を紋日としてお祭りしている。
三芳公民館 社会福祉協議会三芳支部
ここでいう「凶作、飢饉」とは、享保十七年(1732)の享保の大飢饉である。この飢饉については、当ブログ記事「飽食の現代への警鐘」で岩国市の例を紹介したことがある。西日本一帯に被害が及んだというが、とりわけ伊予の被害は大きかった。『愛媛県史 近世・下』に掲載されている資料(「虫附損毛留書」)によれば、全国12,460名の餓死者のうち伊予は5,818名だったという。
この年は、春の多雨、長い梅雨と冷夏、厳しい残暑に旱魃と異常気象の連続だった。春の多雨により麦が凶作だったところに、ウンカが大量発生したのである。稲はウンカに食い逃げされてしまった。
同じく『愛媛県史 近世・下』によれば、『小松藩会所日記』に7月9日に「水の色が醤油のようになった。」とあるが、これは脱皮したウンカの抜け殼によるためだったという。
こんなことが現代日本に起こりうるのか。実はウンカは梅雨時期に中国南部から飛来してくるため、今ではウンカ飛来予測システムが開発され、監視が続けられている。大陸から飛んでくるのは黄砂だけではないのだ。
WFP(国連世界食糧計画)によれば、世界の飢餓人口の増加は続いており、2017年には8億2100万人、9人に1人が飢えに苦しんでいるという。この現状に対して我が国にどのような貢献ができるのか。
我が国自体の食料安全保障は構築されているのか。起こりうる食料危機にどう向き合うのか。私たちのレジリエンスが試されている。小さなお地蔵さまが、そんなことを教えてくれた。
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