古文の時間に『平家物語』で俊寛僧都が島に置き去りにされる場面を習った。
足摺(あしずり)をして、「是(これ)乗(のせ)て行け、具して行け。」と、喚(をめき)叫べども、漕行(こぎゆく)船の習(ならひ)にて、跡は白浪(しらなみ)ばかりなり。(巻第三「足摺」)
離れゆく舟の軌跡だけが残されてゆく。なんで、なんで自分だけがこんな目に遭わなければならないのか。今でいう「陰キャ」の自覚があった私は、俊寛の身の上を自分に重ね、さぞかしつらかったことだろうと心を寄せていたものだ。
本日は、この印象的な「跡は白浪ばかりなり」という表現の源流をたどることとしよう。
岐阜県養老郡養老町養老公園の養老神社に「笠満誓万葉歌碑」がある。
満誓という人物を説明する前に、まずは『万葉歌』を鑑賞しよう。
世間乎何物爾将譬旦開榜去師船之跡無如
世の間を何にたとへむ朝びらきこぎいにし船の跡なきが如しか
この世を何に例えたらよいだろう。朝に漕ぎ出した舟の航跡もすでに消えてしまったという感じか。サヨナラだけが人生だ。
白縫筑紫乃綿者 身著而未者伎禰 杼暖所見
白縫いの筑紫の綿は 身につけて いまだはきねど暖けく見ゆ
不知火で知られる九州の真綿は、まだ身に着けたことがないのだが、暖かそうに見える。私は造筑紫観世音寺別当として九州に赴くのだが、これからが楽しみだ。
上の歌は『万葉集』巻第三351、下の歌は同書336に掲載されている。特に「世の間を何にたとへむ朝びらき…」は満誓の代表作として知られている。この歌は平安中期の『拾遺和歌集』にも採用され、次のような表現で記載(巻第二十「哀傷」1327)されている。
世の中を なににたとへむ 朝ぼらけ 漕ぎゆく舟の あとのしら浪
この「漕ぎゆく舟の あとのしら浪」を本歌取りして、『平家物語』は「跡は白浪ばかりなり」と俊寛の孤独感を絶妙に表現したのである。『万葉集』に7首採録されている沙弥満誓とは、どのような人物なのか。歌碑の前にある説明板には、次のように記されている。
満誓は美濃守をつとめた「笠朝臣麻呂」のことで在任中、元正天皇の養老行幸と養老改元を実現させました。右大弁を辞し出家して「満誓」といい、筑紫の歌壇で大伴旅人、山上憶良らと共に活躍しています。
優れた歌人である前に、国家的なイベントを成功に導く有能な官吏だったようだ。美濃での功績が、観世音寺造立責任者への抜擢につながったのだろう。出身氏族の笠朝臣は吉備氏の一族で、備中笠岡という地名の由来となっている。
万葉歌人沙弥満誓こと笠朝臣麻呂は、女帝を支え国家に尽くしたエリートであった。今、安倍政権を支える厚労省エリートが行った統計不正が大問題になっている。統計データは政策の根拠であり、その数値を疑わないのが議論の前提だ。改竄データに基づく政治なんぞ、国民への裏切りに他ならない。第三者委員会が特別監察を行ったと思ったら、厚労省職員が聴き取りをしていたとか。
世の中をなめてますよね あほらしい 身内が調査で あとは知らない