今年の1月23日、奈良市教育委員会埋蔵文化財調査センターが「富雄丸山古墳」について、墳丘の直径は約109メートルだったと発表した。これは円墳としては日本最大である。
第2位の円墳は、本ブログ記事「無用の長物から学ぶこと」でレポートした行田市の「丸墓山古墳」で、こちらは直径105mである。関東対関西の東西対決かと思ったら、東海地方からも参戦してきた。
名古屋市昭和区山脇町一丁目に「八幡山(はちまんやま)古墳」がある。国の史跡である。
写真では、こんもりとした丘にしか見えないが、地図では、まごうことなき円墳である。ずいぶん大きいようだが、どのくらいあるのか。名古屋市教育委員会の説明板を読んでみよう。
市の中心部に近く鶴舞公園の東南隅の御器所(ごきそ)台地に築かれ、眼下に生産地の湿田を見下す位置にある、東海地方最大で全国的にも有数の円墳である。
直径八二m、高さ一〇m、濠の幅は平均して一〇mの規模のもので、周濠(堀)とその外側の周堤(現況は市道)も良く残っている。
戦前、墳丘から埴輪が採取されているが、戦災で失われ戦後、墳丘が掘り荒らされていたのを、名古屋市が公園整備の中で土盛り整形しているので、そのまま築造当時の姿ではない。築造年代についての確証を欠くが、五世紀の中ごろの古墳といわれている。
関西代表の富雄丸山古墳は4世紀後半、関東代表の丸墓山古墳は6世紀前半に築造された。その中間期に東海代表の八幡山古墳が築造された。まさか、巨大円墳の伝播を示しているわけではあるまい。
名古屋は大都会なのだが、意外に古墳が多い。東京や大阪に比べて、ずいぶん歴史があるのだろう。巨大円墳は関東対関西の対決のようだが、三大都市に限るなら、歴史の古さは名古屋の勝利だ。その王者の墓が、この八幡山古墳なのである。
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