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「この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。」
ローマ教皇フランシスコは24日、雨の降る長崎の爆心地公園でスピーチした。唯一の被爆国である我が国から発せられた「過ちを繰り返してはならない」というメッセージは、カトリック信者のみならず、多くの人々の良心に届いたことだろう。
今月1日、国連総会第1委員会(軍縮)は、日本が提出した新たな核兵器廃絶決議案を賛成148、反対4、棄権26の賛成多数で採択した。イギリスは共同提案国となり、フランスは賛成したが、アメリカは棄権した。反対したのは中国、北朝鮮、ロシア、シリアであった。厳しい状況であっても、主張すべきは主張せねばならない。
オーストリアが提出した核兵器禁止条約への加盟を求める決議案も、賛成119、反対41、棄権15で採択された。ところが、我が国はこれに反対したという。アメリカに配慮したとみられるが、このような体たらくでは核兵器廃絶への本気度が疑われるだろう。
教皇は長崎に続いてこの日のうちに広島入りし、平和記念公園で次のようにスピーチした。
戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪の演説という役に立たない行為をいくらかするだけで自らを正当化しながら、どうして平和について話せるでしょうか。
フランシスコ教皇の来崎、来広を祝して、本日はひとりの聖人を紹介しよう。
三原市城町一丁目に「聖トマス小崎(こざき)像」がある。広島出身の彫刻家沖田利紀の作品である。
まだ少年のようだが、日本二十六聖人の一人である。当時14歳だった。説明の碑文を読んでみよう。
聖トマス小崎少年について
「私のこともミゲル父上のこともご心配下さいますな。天国の全き幸福を失わぬよう努力なさいますよう。人からいかなることを受けようと耐え、すべての人に、大いなる慈悲をかけられますよう。
陰暦十二の月二日 安芸の国、三原城にて」
一五九七年、豊臣秀吉のキリシタン弾圧において長崎西坂の丘で処刑された殉教者二十六人の中に、十四才のトマス小崎がいた。京都から長崎へ護送される途中三原にて伊勢の母マルタに書いた別れの手紙の一部である。処刑後父ミゲルの襟元から発見され、その訳はローマに保管され日本二十六聖人の一人として、世界の人々にあがめられている。
このけなげな少年の心を末永く伝えるために、城址に近いこの地に碑を建立した。
一九九三年一月十七日 三原カトリック教会
三原城船入櫓の石垣を背景に、母のいる伊勢方面を向いて手紙を書いている。トマスを有名にしたのはこの手紙であったが、ふるさとの母には届かなかったようだ。それでも、自らが直面する運命のすべてを受け入れ、母に心配をかけまいとする純真さは、四百年以上を経た現代の人の心に響く。
このあとトマス少年はフランシスコ教皇とは逆に、広島から長崎に向かった。
長崎市西坂町に「日本二十六聖人記念碑」がある。教皇は爆心地公園に続いて、この碑の前でもスピーチを行った。
像の中に3人ほど少年がいる。そのひとりがSt.Thomas Kozakiであった。従容として死についたトマスが最後に思ったのは何だったか。手紙には母のほかに弟達としてマンショとフェリペという名が記されている。考えてみれば家族が家族でいられることが一番の幸せかもしれない。
ここ西坂の丘は宗教弾圧という「過ち」を犯した場所である。私たち日本人はこれを深く自省して信教の自由を確立した。ここ長崎は米国による大量殺戮兵器の被害を受けた場所である。核兵器は憎んでも余りある存在であるはずだ。
ところがどうだろう。「米国の核抑止力は必要」という訳の分からない論理で、我が政府は核兵器禁止条約に参加しようとしない。「核兵器をありがたがっておきながら、どうして平和を訴えることができるでしょうか」安倍首相と会談した教皇はそこまで言わなかったが、思考停止に陥っている我が国に覚醒を促したかったに違いない。
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