フランスのルーブル美術館で現在、レオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年を記念した特別展が開かれている。ダ・ヴィンチは1519年にフランスのロワール渓谷で亡くなった。この特別展に関して、イタリアのサルビーニ副首相は「ダ・ヴィンチはイタリア人でありフランス人ではない」と皮肉を言ったとか。
同じ年、日本では北条早雲こと伊勢宗瑞が伊豆韮山城で亡くなった。小田原城天守閣で「伊勢宗瑞の時代」と題した特別展が開かれているが、生まれ故郷の備中、井原市文化財センターでも「北条早雲没後500年記念展」が開かれている。この井原には没後200年の記念物もあるという。さっそく訪ねてみよう。
井原市東江原町に「大岩刻(だいがんこく)」がある。上のほうに「早雲」の文字が確認できる。
天然の崖に文章が刻まれた磨崖碑である。早雲とどのような関係があるのだろうか。説明板を読んでみよう。
大岩刻(だいがんこく)(井原市東江原町森)
石造物。高さ約4.5m、幅約6.0m。伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)の戒名を刻んだ供養碑。花崗岩の一枚岩に「普早雲寺殿天岳瑞公大居士墳」と刻まれている。
碑が造られた由来が傍らに記されており、これによると室町時代に伊勢氏の家臣で森谷を給付された平井家が、正徳五年(一七一五)に早雲の没後二百回忌を記念して刻んだものである。早雲の没年は永正十六年(一五一九)八月十五日であった。なお森地区には、伊勢盛時・父の盛定・末裔の又千代盛次の三名を祀る供養塔や盛時神社も所在する。
この地の領主だった伊勢氏の旧臣平井氏が、早雲の没後二百回忌を記念したとものという。早雲が備中出身だという記憶が200年間語り伝えられてきたのだろう。出自不明と言われてきたが、300年前には決定的な証拠が出現していたのだ。
大岩刻の下の岩陰に石仏がある。足場が悪く容易には近付けない。上記説明文の続きには、次のように記されている。
大岩刻の下方には、安政六年(一八五九)に安置された、道了尊の石仏が所在する。道了尊は道了薩埵・道了権現とも呼ばれる、神奈川県南足柄市にある曹洞宗最乗寺の守護神。開山の了庵慧明に従っていた妙覚道了が身を変じた。霊験あらたかとして広く関東地方を中心に信仰されており、岡山県西端に位置する当地での道了尊石仏は珍しい。
道了尊は天狗の姿をしているという。手前の石仏はそれらしい姿をしている。早雲が活躍した関東の石仏が備中に存在しているのは、早雲が導いた縁であろう。江戸時代を通じて早雲の記憶は、備中で確実に継承されていた。
イタリア人ダ・ヴィンチに会うため、世界中からフランスにファンが集まっている。これをイタリアの副首相がやっかんでいるが、まさか、「北条早雲はうちの郷土の偉人だ」と、岡山県と静岡県そして神奈川県が、早雲の取り合いをすることはないだろう。
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