「これやこの」の蝉丸の歌は、百人一首のなかでもリズミカルで覚えやすい。歌枕となった逢坂の関がある京滋国境には「蝉丸トンネル」まであるというから、三十一文字の影響力は果てしないように思える。生没年、出身、経歴すべて不詳の謎の歌人蝉丸が、京から遠い米子で亡くなっていたと聞いたので、ゆかりの地を訪ねてみた。
米子市博労町三丁目に「蝉丸神社」が鎮座する。
深編笠をかぶり琵琶を背負った旅人が米子にやって来た 。眼が見えないらしく杖をついて歩いていたが、とうとう砂浜で倒れこんでしまった。村人が事情を尋ねると、次のように語って息絶えたという。川上廸彦『米子の民話散歩』所収「蝉丸さんの百人一首」より(出典は『新版伯耆民談記』門脇武夫)
「わしは眼が不自由な上に不治の病に冒されていて、なんとか治りたい一心で全国の神仏を拝んで行脚してきた者だが、どうもここで終わりそうだ。わしが死んだらここに祠を建ててくれ。親切な村人の為に眼病をはじめわしが病気で苦しんだ分、村人が病気にならんようにまもってやるから」
これはいったいどなたかと持ち物を調べると、なんと「これやこの」の蝉丸さんではないか。そこで遺言どおりに建てたのが、この蝉丸神社だという。病魔退散に霊験あらたかなようだが、特に効くのはコレラだという。なんとならば「これやこの」が、「コレラ来ぬ」と聞こえるからだそうだ。
いま新型コロナウイルスが中国で猛威を振るい、日本は不安に陥れられている。マスクが売り切れて入手困難だそうだ。テレビで学者さんが、使い捨てマスクを洗って使えばよい、と言っていた。「これやこの」もよく聞けば「コロナ来ぬ」とも聞こえる。ここはやはり、蝉丸神社にお詣りしようではないか。
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