今年3月にねむの木学園で知られる宮城まり子さんが亡くなった。93歳であった。人気歌手の宮城さんが新進気鋭の作家吉行淳之介と出会ったのは昭和32年、女性誌が企画した鼎談だったという。ちなみにもう一人は写真家の秋山庄太郎である。
いま芸能人の不倫はずいぶん叩かれ謝罪場面をよく見かける。宮城と吉行の交際も不倫であったが、この二人に限ってはもはや美しい物語へと昇華している。宮城が設立したねむの木学園の名称を決めたのは吉行だったし、吉行の最期を看取ったのは宮城だった。
吉行淳之介が亡くなったのは平成6年7月26日。聖路加国際病院の病室には、宮城とともに日野原重明先生もいた。墓は父祖の地、岡山県の旧御津町にある。
岡山市北区御津草生(みつくそう)に「吉行家墓所」がある。国道53号を走ると「“あぐり”の里 御津町」と書かれた緑の看板があるから、ご存じの方も多かろう。
「あぐり」はお母さんの名前で、美容師の草分け的存在で朝ドラ「あぐり」のモデルとなった吉行あぐりである。放送は平成9年で、看板はその頃に建てられたのだろう。
霊標には淳之介の名が刻まれている。宮城さんが93歳、日野原先生が105歳、お母さんは107歳と長命な方が多い中で、淳之介の「行年七十一才」はずいぶん短い。ホテルのバーが似合う都会の作家で、その生き方はまさにダンディズム。ビールをトマトジュースで割った「レッドアイ」と呼ばれるビアカクテルを好んでいたという。
旧御津町の風景や人情を描いたわけではないが、知る人ぞ知る文学スポットである。旧御津町職員だった方に聞いたところによれば、新採用研修で名所めぐりがあり、この墓所にも訪れたということである。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。