日本史上最大の謎と言われる本能寺の変。事実関係での争いはほとんどなく、学問的には大したことではない。邪馬台国の場所のほうがよほど大問題である。それでも本能寺がこれほどまでに人気なのは、光秀の動機が不可解だからだ。
かつて動機は遺恨説が主流だった。浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった時のように。いっぽう信長は光秀を高く評価しており、恨みに思われるとは夢にも思っていなかったようだ。本日は、信長に激賞された光秀の活躍にフォーカスすることとしよう。
丹波市春日町黒井と春日町多田にまたがって国史跡「黒井城跡」がある。石碑には「保月城趾」と刻まれている。城のある猪ノ口山(いのくちやま)の山頂からは広大な景色を望むことができ、写真は西方面を写している。黒井駅に続く福知山線で言えば、石生(いそう)駅、柏原(かいばら)駅方面となる。
黒井城は赤松氏の春日部流、荻野氏の城主が続いたあと、天文二十三年(1554)に赤井直正が入城した。直政は悪右衛門を称し、一時期は流浪の関白近衛前久を保護するほどの権勢を誇った。永禄十三年(1570)には信長に降ったが、やがて信長包囲網に加わる。天正三年(1575)から四年にかけて明智光秀を総大将とする織田勢に攻められるが、八上城の波多野秀治の援軍を得て城を守り抜いた。
天正五年(1577)松永久秀の信貴山城を落とした信長は、丹波攻めを光秀に再開させる。天正六年(1578)に赤井直正が病死すると、丹波でも織田に味方する国人が続出したという。光秀は八上城を一年以上の兵糧攻めで落とし、天正七年(1579)の夏に黒井城に攻めかかる。そして、今日のその時がやってくるのである。『信長公記』巻十二を読んでみよう。
八月九日
赤井悪右衛門楯籠候黒井へ取懸推詰候処に人数を出し候則噇と付入に外くるは迄込入随分之者十余人討取処種々降参候て退出
維任右之趣一々注進被申上永々丹波に在国候て粉骨之度々の高名名誉も無比類の旨忝(かたじけなく)も被成下御感状都鄙面目不可過之
赤井直正の病没後、幸家が立てこもる黒井城を囲む軍勢が出撃し、鬨の声を上げて外郭まで入り込み、名のある者ども十数人を討ち取ったところ、敵方は次々と降参して城を出て行った。
明智光秀は戦況を信長に逐一報告するとともに、長く丹波で労を惜しまず働き数々の功名を立てた。まことに比類なき名誉であると信長から感状が与えられた。全国に明智ほど素晴らしい武将はいない。
「石踏の段」に「赤門」がある。
我が国で最高峰の赤門なら「武士の家計簿の史跡」で紹介したが、黒井城の赤門の前は切岸だから門としては唐突だ。昭和34年に城下の薬師如来堂から移築された。往古はこの曲輪に赤井直正が篤く信仰した薬師如来を祀るお堂があり、城下で再建されていたという。門の向こう正面に石塔があるので近付いてみよう。
「故緇井邑主赤井公招魂碑」と刻まれている。「緇井」とは黒井のこと。赤井直政の供養塔である。丹波の赤鬼と恐れられた赤井公が赤門に守護されて祀られている。昭和半ばの移築ながら、今や黒井城の風景としてなじんでいる。文政二年(1819)建立の石塔の側面には、赤井公の生涯が漢文で刻まれている。その一部が…。
削られていたのは「光秀」という文字のようだ。こうした行為は文化財損壊に他ならないが、明智光秀だけに、削った動機を考察する意味はあるだろう。考えられる背景は二通りだ。一つは我らが敬愛する赤井公を死に追いやった光秀は許せぬ、という地元感情。もう一つは主君に対して謀反を起こした光秀を許せぬ、という忠君思想。いずれにしても光秀にとって分が悪いことは否めない。
しかし、黒井城を落とし丹波を攻略したことは、信長が激賞するように光秀の人生最大の功名である。だからといって光秀は天狗になって自分の力を過信するような人物でもない。寛永17年(1640)成立の『本城惣右衛門覚書』の最新の研究によれば、明智軍が京都へ向かう理由について、従軍していた惣右衛門は「上洛中の家康への援軍に変更された」と理解していたようだ。「信長様を切腹させようとは夢にも思わなかった」とも述懐している。
これだから権力闘争は先が読めない。今月27日に自民党の総裁選があり、菅首相と岸田前政調会長、高市前総務相が出馬を表明している。御曹司小泉環境相は首相再選支持、期待の石破元幹事長は様子伺い、河野ワクチン相は役員人事で取り込まれるのか。まさに自民党内は戦国時代さながらの様相である。さあ、この中から光秀は現れるのか。いや、場合によっては秀吉が現れるのかもしれない。
このように書いた次の日、つまり本日、事態は急展開した。菅首相が総裁選に出ないと表明したのである。するとすぐさま、河野ワクチン相が出馬を宣言した。さあ、どうなるのか。戦国みたいではなく、まさにこれが戦国、権力闘争なのだ。この争いで自民党は刷新され、任期満了総選挙で圧勝するのではないか。この戦国の被害者は民衆かと思っていたが、もしかすると野党なのかもしれない。