種村季弘『アナクロニズム』河出文庫は忘れられない一冊である。聞いたことのない奇妙な話ばかりで、見てはいけないものを見たかのようなドキドキ感があった。その中に葦原(あしわら)将軍あるいは葦原皇帝という誇大妄想の入院患者が登場する。自家製の勅語を発して、マスコミにもてはやされていたという。
岡山市北区建部町和田南(大蔵)に「白雲皇帝の塚」がある。地元では「てんのうさま」と呼んでいる。
白雲皇帝とは何者か。帝位僭称者がここにもいたのか。それとも、ひそかに逃れてきた貴人が本当にいたのか。島田秀三郎『心のふるさと 美作伝説考』には、次のように記されている。
白雲皇帝の塚
御津郡建部町大和田南(旧久米郡福渡町)の垪和山(はがやま)にある。
いつの頃か、この里に都風の生活を楽しむ貴人が住んでいた。素朴な里人の尊敬の集まるにまかせて、自分で白雲皇帝と号するようになったと伝えている。異説があり、治承元年(1177)六月、鹿ヶ谷の隠謀に連座して美作に流された平佐行の塚であるという。
白雲皇帝は悠々自適な田舎暮らしをする都会の人なのか。ちょっと調子に乗っているようにも思える。出典を探すと作州史の金字塔『作陽誌』にたどりついた。「西作誌」中巻久米郡北分古跡部垪和郷には、次のように記されている。
白雲皇帝塚
在同村王蔵(地名)祠陵既廃石塔猶存傍有草堂安観音大士俚民相伝昔有王者号白雲皇帝時四海大擾帝潜避乱入垪和山百官有司相逐而来佯為匹夫貌此地畳山邃谷逈非人世王深蔵而不出遂無知者因名王蔵王所居号大王郭(今属和田北村)後遷大垪和山而崩名其地曰神屋敷(在大垪和西村宮森名)邑人奉喪葬于王蔵
白雲皇帝塚は和田南村王蔵(今の大蔵)にある。祠はすでに荒廃し、石塔だけが残っている。そばに小さなお堂があり観音さまを祀っている。里の人々が伝えるところによれば、むかし白雲皇帝と名乗る王者がいた。当時の世は大いに乱れていたため、皇帝は乱を避けて垪和山に入った。官僚たちが後を追ってやってきたので、偽って身をやつした。この地は幾重にも重なる山と谷により、人里から隔絶されている。王は深く隠れ出て来なかったので知る者もいなくなった。このため王蔵と名付けられた。王が居た所は大王郭と呼ばれ、今は和田北村に属している。のちに大垪和山に遷座し、そこで崩御した。その地を名付けて神屋敷といい、大垪和西村宮森名にある。村人は弔い奉り、王蔵に葬った。
確かに山深い所でアクセスする道は細い。この隠れ里にやってきた白雲皇帝はどうやら本物の王者だったようだ。「四海大擾」という乱世とは南北朝時代だろうか。戦国時代だろうか。あまりにも唐突な伝説で、史実とのつながりが見えてこない。美咲町大垪和西には「王山」という山があるのがヒントになるのかもしれない。
次に異説に注目しよう。鹿ヶ谷の陰謀に連座した「平佐行」説である。一味とされた平資行は美作に流されているので、そのゆかりの地だろうか。美作の歴史を知る会ふるさと歴史見学会『美作の大庄屋』によれば、和田北村の大倉家の遠祖は平資行だそうだ。有力な状況証拠である。
ただし、「平資行」と「白雲皇帝」と「てんのうさま」とが、どうにも一つにならない。都から来た貴人という面影だけは感じるのだが、史実はどうなのだろう。葦原皇帝のように勅語でも残してくれていたならと思う。
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