今回の大河は戦国でも幕末でもなく鎌倉初期である。ドロドロした歴史がどのように描かれるのか楽しみだ。ドラマは大どんでん返しが描かれると盛り上がるが、それなら『太平記』に勝るものはないだろう。主上御謀反が失敗に終わり後醍醐帝は隠岐へと流されるものの、ほどなくして大逆転を起こす。
大河『太平記』では、片岡仁左衛門が帝を演じていた。先年の正親町天皇は坂東玉三郎だったが、やはり帝役は伝統に裏付けられた歌舞伎役者の気品が必要なのだろう。本日は後醍醐帝が立ち寄ったというお宮に、不肖ながら私も訪ねたのでレポートする。
美作市粟井中の春日神社に「後醍醐天皇御腰掛石」がある。
『岡山県通史』によれば、隠岐遷幸の後醍醐帝は出雲街道播美国境の杉坂峠から美作入りした。元弘二年(1332)三月十日のことである。この日は英田駅に逗留し、翌日、林野、湯郷、北和気、種、皿、そして「久米のさら山」を経て、院庄に到着した。院庄にしばらく滞在し、十八日に出発、この日のうちに美伯国境の四十曲峠を越えたという。
ではここ春日神社に立ち寄ったのはいつなのだろうか。標柱の裏には次のように記されている。
元弘二年(一三三ニ)三月一六日 隠岐ノ島配流の途上 春日大明神に行幸になり この腰をおろされ 扈従(身分の高い人のお供)の千草忠顕の差し出す湯茶を召し上がられた
「千草」はふつう「千種」と書く。忠顕は確かに隠岐への道行きに同行した。『岡山県通史』に従えば、十六日は院庄に滞在中だ。引き返したとは考えられない。おそらく『増鏡』第十九「久米のさら山」の記述が関係しているのではないか。読んでみよう。
十七日、美作の国におはしまし着きぬ。御心地なやましくて、この国に、二三日やすらはせ給ふほど、かりそめの御やどりなれば、もの深からで、候ふかぎりの武士ども、おのづからけ近く見奉るを、あはれにめでたしと思ひ聞ゆ。君も思しつゞくる事ありて、
あはれとは汝も見るらむ、我が民と思ふこゝろは今もかはらず。
この解釈には二通りあって、一つは17日に杉坂峠を越えて美作入りしたというもの、もう一つは17日に美作の守護所である院庄に到着したというもの。後者であれば16日に美作入りしたことになろう。美作に入ったその日のうちに春日神社に参詣したのだろう。
では、なぜこの神社に立ち寄ったのだろうか。その事情は境内の説明板「春日神社由緒沿革」に記されている。少々長いが読んでみよう。
当神社が初めて吉野郡淡相(あわい)の郷(美作市粟井中)に建立されたのは、六七代三条天皇の御世、長和二年(西暦一〇一三)三月で平安時代である。備前・美作の国造(地方官で祭事を行った)和気清麻呂公五世の孫相法公(しょうほうこう)によって大和国官幣大社春日大社の御分霊を奉斎した由緒ある古社である。当時の日本は藤原氏の全盛時代であり、その氏神である春日大神がこの地に勧請された政治的な意味は大きかったと思われる。「枕草子」「源氏物語」が書かれたのもこの頃である。この粟井の郷は京の都から播磨国を通って西国へ行く街道筋であり、中央政府から近国の重要地点としての扱いを受けていたものと思われる。
万葉集(巻十一柿本人麻呂歌集二四二四)に小野の双子山が
紐鏡(ひもかがみ)能登香(のとか)の山も誰(た)がゆゑか君来ませるに紐開(解)かず寝む(能登香山=双子山)
と詠われており、古の奈良の都の頃から万葉歌人がこの郷を訪れていたのである。
「後醍醐天皇の行幸」元弘二年(西暦一三三二)隠岐へ配流の途上の三月一六日、警護役の近江守護大名佐々木道誉から『美作国粟井郷に春日大明神と申す古社があり、昔皇位の危機を救った和気清麻呂の子孫が勧請したもので行幸なされては』との奏上により参詣された史実がある。
婆娑羅大名として知られる佐々木道誉が帝に参詣を勧めたのだ。理由はこの神社が忠臣和気清麻呂の子孫によって勧請されているからとのこと。和気氏は平安中期以降代々医家として朝廷に仕え、相法は藤原実資『小右記』にも侍医として登場する。
和気清麻呂は現在も和気町のキャラクター「わけまろくん」として活躍している。備前国東南部、和気郡のローカルな豪族というイメージだが、けっこう美作国にまで勢力が及んでいたらしい。
引用されている万葉歌の舞台は、市の名勝に指定されている「能登香山」で、春日神社の東方に位置している。二つの峰があるので双子山とも呼ばれている。さらに近くには、以前にレポートした「徳大寺大納言の墓」がある。
春日大社の分霊、万葉歌の舞台、謎の公家、後醍醐天皇と中央とのつながりが濃いようだ。美作国の一地方なのに、と侮ってはいけない。この地を通過する国道429号は、福知山市で国道9号に接続し京都市に至るのである。
おそらく古来から京文化を受容していたのだろう。一方、おそらく後醍醐天皇は来ていない。それでも後醍醐伝説が生じた背景として、京の都と2本の国道で結ばれているという事実を見過ごしてはならない。