時間は天体の動きによって決まるのかと思ったら、今や原子の振動である。それでもやはり、お日さまの位置とか腹の減り具合とか人間らしい基準は日常的に健在だ。江戸時代には暮れ六つとかざっくりとした不定時法だったが、暮らしに困らなかったのだから、それでいいんじゃないのか。
文明開化によって生まれた文物の一つに「時刻」がある。具体的には今年150年の鉄道開業に伴って時刻表が発行されたことだ。これによって時刻を可視化する必要が生じ、時計が作られていく。
「時刻ってどうやって決めたらいいんだ?」悩んだ開明派知識人が帰り着いたのは、やはり太陽だった。「よし、日時計を作ろう。」
洲本市本町四丁目の厳島神社境内に「太陽時計台」がある。
線がたくさん刻まれ日時計の雰囲気があるが、使い方が分からない。説明板を読んでみよう。
太陽時計台 明治九年四月建設
円形の日時計が八角形の石柱に乗る。石柱の南北面には緯度、西面には英国からの東経、東面には東京からの西経が記されている。そして北西面に「紀元二千五百三十六年四月建設」、北東面に「駸々社中」と記され、明治九年(一八七六)四月に駸々社中が建てたことが分かる。駸々社中とは、淡路の福沢諭吉と称される安倍喜平が文明開化推進の為に結成した組織で、安倍喜平の家塾「積小軒」の門下生からなる。
駸々社は明治十年には地租改正に伴う淡路島の地図を作成し、明治十年には淡路新聞を発行した。地図作成に際し、測距具「積小儀」と「地図伸縮儀」の発明、そして「太陽時計台」が安倍喜平の三大発明と言われている。
厳島神社
由来は理解できたが、やはり使い方が分からない。気になるのは「淡路の諭吉」こと安倍喜平だ。発明品もすごそうだが、大きな足跡は言論界に残っている。積小軒の門下生に三木善八がいた。安倍と共に淡路新聞の創刊にかかわり、後に報知新聞の社主として「新聞経営の神様」と呼ばれたという。
報知新聞は大正期に東京を代表する新聞として広く購読されたが、昭和になると大阪系の朝日、毎日に押され、戦時中に読売と合併してしまった。現在は「スポーツ報知」として、その名を伝えている。
言論の自由は文明開化の一つ。真実の追求は科学も言論も同じだ。社会生活の向上は正確な時刻からと、時計が普及するようになった。人々は時間を無駄にしないようになり、効率のよい行動で生産性を向上させた。と同時に、遅刻しないようにと、時間に束縛されるようになってしまったのである。