古代エジプト人の墓には「この墓に入るすべての男と女は、ワニ、ヘビ、カバ、サソリに殺されるだろう。」と記されているそうだ。それだけ墓泥棒が多かった証拠だという。世に盗人の種は尽きまじ、古今東西悪い奴らはいるもので、我が国の古墳もよく盗掘されている。
盗掘は文化財の価値を大きく損なうから、史跡指定されることはないのかなと思ったら、国指定史跡の盗掘墳があった。さっそく行ってみよう。
鳥取県東伯郡湯梨浜町野花に国指定史跡の「北山古墳」がある。山陰地方最大級の前方後円墳だという。
後円部が窪地になっている。ごっそり持って行かれてしまったのだろうか。右奥に前方部があるが薮化して入れない。写真の左、木の陰に石棺らしきものが見える。最大級という大きさこそ実感できないが、立地条件はよい。レイクビューのこの眺望だ。
写真左端の山が橋津古墳群のある馬ノ山だ。ここには馬ノ山4号墳があり、真ん中あたりには宮内・狐塚古墳がある。いずれも大型の前方後円墳である。信長が琵琶湖に城郭ネットワークを築いたのと同じく、前方後円墳ネットワークを築いて東郷池を押さえたのだろう。説明板を読んでみよう。
国指定史跡
昭和五五年六月三日指定
北山古墳
国史跡の北山古墳(北山一号墳)は山陰地方最大級の前方後円墳で、その規模は全長一一〇メートル、後円部径七〇メートル、高さ十二メートルに達し墳丘には葺石が見られる。
後円部はすでに盗掘されていたが、長さ五~六メートルの竪穴式石室があったものと考えられており、その石室の排水溝が発掘調査で確認され、管玉や甲の一部が発見されている。石室の南二メートルの所では箱式石棺がみつかっており、銅鏡、勾玉、管玉、棗玉、鉄斧、刀などが出土している。その他、盗掘された周辺から籠目土器(籠に粘土を押しつけて作った土器)などもみつかっている。また、墳丘からは円筒埴輪や朝顔形埴輪のほか、楯、短甲、錣、鶏などの形象埴輪も発見されており、これらの出土品などから五世紀前半ごろの古墳と考えられ、山陰を代表する貴重な古墳である。
なお、後円部から五〇メートルほど東側に、北山二七号墳と呼ばれる円墳がある。直径二二メートル、高さ二・八メートルの中型古墳であるが、変形四神四獣鏡が出土したことで知られている。
湯梨浜町教育委員会
馬ノ山4号墳に始まる首長の系列を引き継ぐ古墳のようだ。この地域の豊かさに東郷池はどのように関わったのだろう。池の内外を結ぶ一大交易網が築かれていたのかもしれない。
それが分かるのが副葬品の豊かさだ。盗掘されていなかったら、大変なことになっていただろう。ここで注目したいのは銅鏡だ。説明板は北山27号墳の変形四神四獣鏡を紹介している。これは仿製鏡(ぼうせいきょう)といって、中国鏡をマネして日本で製作された鏡である。いっぽう北山1号墳の銅鏡には何の言及もない。
調べると龍虎鏡という舶載鏡だと分かった。本場中国から手に入れたホンモノというわけだ。しかも29文字の銘文まであるという。何が書いてあるのか。『東郷町誌』によれば、このような文字だ。
尚方作竟大母傷 巧工刻之成分章
この他に七言の句が二つあり、置き字の「兮」を加えて29文字となる。内容は珍しくもなんともなく、中国鏡にはよくある典型例だそうだ。このため『東郷町誌』は銘文は次のように続くのではと紹介している。
左龍右虎辟不祥 朱鳥玄武順陰陽
これらの文字は次のように解釈できるようだ。
尚方(しょうほう)鏡を作るに、大いに傷なし。
巧(たくみ)なる工は之れを刻み、文章を成す。
左龍(さりゅう)と右虎(うこ)は不祥を辟(しりぞ)く。
朱鳥と玄武は陰陽を順(ととの)う。
尚方とは政府直属の鋳銅工場のこと。鏡面は美しく文字もくっきり、品質の高さを保証いたします。図柄は貴殿を災いから遠ざけ、コンディションを整えます。さすがは中国製。モノが違う。持ち主も大満足だったことだろう。
盗掘を免れた箱式石棺でさえこのような銅鏡が出土したのである。盗掘された竪穴式石室には何があったのか。『東郷町誌』によれば盗掘は大正年間のことだという。どこかに保管されていればよいのだが、「錆びてボロボロだな」と捨てられたかもしれない。
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