君が代は小学生の頃から意味も分からず歌ってきた。式典を厳粛にする呪文に節をつけて唱えているように思えた。「さーざーれー」「いーしーのー」が「さざれ石」で、細かい石を意味することを理解するのには、かなりの歳月を必要とした。
さざれ石が巌(いわお)となるという現象は礫岩の形成を意味している。バラバラだった小石がくっついて大岩となり、それに苔が生えるまでに、いったいどれくらいの時間が必要なのだろう。
真庭市関に「塩滝」がある。黒い岩肌を水が白く流れ落ちていく。これを、さらさらとこぼれ落ちる塩に見立てたのだろうか。
塩滝の見どころは岩だという。よく見ると粒々の岩肌だ。近くを散策すると、石で出来た岩がたくさんある。
このあたりの岩を「塩滝の礫岩」といい、県の天然記念物に指定されている。いったいどのようにして出来たのだろうか。説明板を読んでみよう。
塩滝の礫岩(れきがん)
1.岡山県指定天然記念物
2.指定 昭和34年9月15日
名称:塩滝県自然環境保全地域(昭和48年11月29日指定)
位置:真庭市 関
地域の広さ:10.44ha
(地域の特徴)
塩滝の礫岩層は主に蛇紋岩で出来ている。蛇紋岩は今から3億年前(古生代)地球の火山活動旺盛な頃生成され、6千万年前の海中の隆起を経て、千数百万年前に礫岩層となった。
この岩は今も塩滝の西方一帯に連なって分布しており、北海道の天塩北見地方と共に我が国有数の蛇紋岩地帯である。
屏風岩(長さ300m 高さ30m)や、塩滝(高さ41m)など特異な地形もみられる。
真庭市
大岩を構成する小石は蛇紋岩である。太平洋上の海底火山でマントル由来の溶岩(橄欖岩)が地表近くに押し上げられた。海洋プレートが大陸プレートに沈み込む際に、一部ははぎとられ付加体となるが、一部は深く沈み込んで高い圧力を受けることとなる。この低温高圧により橄欖岩が水と反応してできたのが、蛇紋岩である。
その後の動きを推測してみよう。地下深くで眠っていた蛇紋岩は隆起で押し上げられ、河川の運搬により浸食されていく。丸くなった礫が海底に沈み、その隙間を砂や泥が埋めていく。さらに堆積が進んで圧密作用を受け、蛇紋岩の礫層は膠結して礫岩となった。これが再び隆起によって地表に現れたのが、塩滝の礫岩なのだろう。
説明板には特異な地形として「塩滝(高さ41m)」のほかに「屏風岩(長さ300m 高さ30m)」を挙げている。300mもあるという巨大な岩を見に行くことにしよう。
思いのほか時間がかかってしまったが、「屏風岩」の表示を見つけた。塩滝の遊歩道入口である。しかし、木々に覆われて岩が見えない。国土地理院の地形図で調べると、岩に近付くルートがあるようだ。
急坂を上って「屏風岩」にたどりついた。
300mの長さは一望できないが、立ちはだかるかに構えた巨大な岩だと分かる。南北に長い屏風岩の北側に塩滝があり、いま目にしているのは岩の南端である。
さざれ石に苔が生すまでには、千代に八千代にという長い年月がかかった。塩滝の礫岩はどうなのだろう。礫岩となったのが千数百万年前、主体をなす蛇紋岩が初めて地表に現れたのは六千万年前、それが地下深くで生成したのは3億年前だという。
永い間には、浮いたり沈んだり、くっついたり離れたり、そしてすっかり変ってしまったりといろいろなことがあった。寿ぎの歌にケチをつけるつもりはないが、現実には千代に八千代に変わらぬことなどあり得ない。岩でさえもこうなのだから、人生に浮き沈みがあるのは当然だろう。
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