登山の好きな人は縦走の醍醐味をよくご存じであろう。最初のピークに立つと次のピークが遠くに見える。あの稜線、あの距離をこれから走破するのだ。高揚感とともに、山から山へと渡っていく。
その縦走路に城跡があればなおいい。戦国武士も同じ景色を見ていたのだ。まずはこの山に登ることとしよう。
津山市新野山形と奥津川の境をなす山形仙に「仲山城跡」がある。
山形仙には美作滝尾駅から登る人が多いようだが、私は南麓の山形八幡神社から林道を登って西側の尾根に取り付いた。この山にはピークが2つあり、それぞれに曲輪群が造成されている。
西の曲輪群には広い削平地もあるが、写真映えしないので先へと進もう。東の曲輪群の手前には、写真のような堀切がある。この城跡でもっとも山城らしい遺構である。だが、その位置が不思議だ。これでは西の曲輪群からの攻撃を東の曲輪群が防ごうとしているように見える。
東の曲輪群に三等三角点「能田」がある。標高は790.9mである。このような高い場所に、いったい誰が城を築いたのであろうか。『東作誌』三巻「勝北郡新野庄山形村」の古城の項には、次のように記されている。
東ヶ城 西ヶ城
北山に在城主時代等渾て不分
すべて不明だという。手掛かりがないか探すと北東に山が見えた。
広戸仙である。ということは、岡山県内でもっとも標高の高い城跡として紹介した「爪ヶ城跡」(1075.5m)が見えるはずだ。そして少し右下に「矢櫃城跡」(910m)も見えるだろう。どちらも菅家七党の一流広戸氏ゆかりの城である。
山形仙南麓の金剛山には「烏帽子形城」があり、その向こうの平地には「本丸城跡」がある。こちらも広戸氏ゆかりの城で、特に本丸城は広戸氏の本拠であった。
広戸氏は室町幕府の奉公衆で、凋落傾向にあった赤松氏の当主晴政を支えたとの記録が残る。尼子氏や毛利氏、浦上氏に宇喜多氏が次々と侵入してきた。戦国の草刈場となった美作の地で生き残るのは大変なことだったろう。
そう考えると山形仙の仲山城も、広戸氏の城郭ネットワークの一角と考えてよいのではないか。私は往路を引き返して麓に下りたが、山形仙から広戸仙へと縦走するハイカーも多いようだ。山城ファンの方は、爪ヶ城跡に着いたら広戸仙山頂に向かわず矢櫃城跡へ行ってみるとよいだろう。極上の山岳城郭巡りとなるに違いない。
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