赤ちゃんの誕生を喜ぶ歌はいつの時代も変わらない。万葉のむかしには山上憶良が「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに」と子宝を授かった喜びを詠じた。現代なら平松愛理さんの「Dear My Baby」。恋でも愛でもない、駆け引きなしで許せるこの気持ち。いろいろあるけど一緒に生きてゆこうね、と優しく語りかける人生の夜明け。それが誕生なのである。
糸島市波多江駅南一丁目に産宮(さんのみや)神社が鎮座し、社殿脇に「子安梅」がある。
三宮なら聞いたことがあったが産宮という表記は、なかなかの専門性の高さだ。うちの近くには菅公を祀る「子安天満宮」があるが、子安だけにやはり安産の神様である。産宮にはどのような由緒があるのだろうか。社頭の案内板を読んでみよう。
略緣起
御祭神奈留多姫命(なるたひめのみこと)は御懐妊に当り祖神をお祀りし「月満ちて生まれん子端正なれば永く以って萬世産婦の守護神とならん」と仰せられて無事皇子を安産された由。以降産宮(さんのみや)と称え安産守護の神様として広く崇敬をあつめて来ました。又神功皇后三韓遠征に際し当宮に産期の延びん事を祈られ、御帰朝後皇子を安産せられた由、その奉賽の為百手的射の神事を奉納され、この故事にならって二月二十五日には的射の神事が修行されている。
社前に梅樹あり「子安梅」と云う、此の神木は神功皇后が韓土より持帰り初めて此の地に植えられたものと云う。
ご祭神は三柱で、奈留多姫命と玉依姫命、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと)である。ウガヤフキアエズとタマヨリヒメは神武天皇の両親である。主祭神のナルタヒメについて、『糸島郡誌』波多江村第八章社寺「村社産宮神社」には、次のように記されている。
伝に曰く、奈留多姫は葺不合尊第三の御子なりと。
ということは神武天皇の姉か妹ということだ。ところが産宮神社の公式ウェブサイトでは神武天皇の皇后、蹈鞴五十鈴姫命(タタライスズヒメノミコト)と同一視され、第二第綏靖天皇の母に位置付けられている。よく分からないが、皇子を安産した産婦の守護神には間違いない。
ここでは、もう一人のヒロイン神功皇后を詳しく扱おう。妊婦ながらも海外遠征を指揮する皇后は、産宮神社に予定日の延期を祈願し叶えてもらったという。ところが正史『日本書紀』巻第九神功皇后紀仲哀天皇九年九月条には、次のように記されている。
時に適(たまたま)皇后の開胎(うむがつき)に当れり。皇后則ち石を取りて腰(みものこし)に挿(さしはさ)みて祈(いは)ひて曰く、事竟(をは)りて環らむ日に茲土(ここ)に産れたまへ。其の石今伊都県(いとのあがた)の道辺(みちのべ)に在り。
石を腰に挟んで予定日を遅らせたのだ。この石は「鎮懐石(ちんかいせき)」といい、糸島市二丈深江の鎮懐石八幡宮に祀られているという。また『古事記』仲哀天皇段にも、次のように記されている。
かれその政未だ竟(を)へたまはざる間(ほど)に、妊(はら)ませる御子、産(あ)れまさむとしつ。かれ御腹を鎮(いは)ひたまはむ為に、石を取らして、御裳(みも)の腰に纏(ま)かして、筑紫ノ国に渡りきましてぞ、その御子は生(あ)れましける。かれその御子生みたまへる地を、宇美(うみ)とぞ名つけける。またその御裳に纏(ま)かせりし石は、筑紫ノ国の伊斗ノ村になもある。
御子つまり応神天皇が生まれた場所を「宇美」といい、福岡県糟屋郡宇美町宇美一丁目の宇美八幡宮だという。どうやら産宮神社の神功皇后伝承は記紀に直接結びつくわけではなさそうだ。
本記事の冒頭にふくらむ梅の実の写真を載せた。参拝したのは4月初めである。説明板を読んでみよう。
子安梅
此の御神木は神功皇后が韓土より持ち帰り初めて此の地に植えられたと言い伝えられ妊婦がこの実を戴けば産が安いと言われている
三韓征伐の戦利品だという。いやお土産くらいのものか。いずれにしても我が国では見たこともないような優れた梅木だったのだろう。先進的なモノや技術は常に朝鮮半島から入ってきた。妊婦が安産という慶びを得ることができたのも、コリアンパワーのおかげだったのである。
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