富雄丸山古墳については日本最大の円墳として「円墳選手権大会東海代表」など本ブログでもたびたび触れている。この有名古墳で国宝級の大発見があったとのニュースが駆け巡った。今年1月25日のことだ。
出土したのは異形の鏡と剣である。鏡は「鼉龍文盾形銅鏡(だりゅうもんたてがたどうきょう)」といい、中国の神獣を簡略化した文様がある盾形の銅鏡で、長さ64cm、最大幅31cm、重さ約5.7kgの大きさだ。剣は「蛇行剣」といいウネウネしているが、この種の剣は珍しいわけではない。驚くべきはその長さで、2m37cmもある。謎の四世紀が解明されることになるのだろうか。
鳥取県八頭郡智頭町新見に「富沢古墳」がある。
それほど大きな古墳ではなく、石室内もご覧のように何もない。お宝は何か出土したのだろうか。説明板を読んでみよう。
智頭町指定文化財
富沢古墳(智頭町新見)
指定 平成八年七月
古墳の外部は南北十三メートル、東西十一メートルのほぼ円形で、盛土は二・五メートルあります。現在、横穴式石室の羨道部入口は破壊され、そこから石室に入ると花崗岩の割石を積んだ壁面は長さ六・六メートル、奥壁は幅一・五メートル、天井石の一部が落下していますが、全体的に良好な七世紀前半の円墳と思われます。
智頭町では今日まで二十八基の古墳が知られていますが、この古墳は破壊からまぬがれた貴重な遺跡です。
平成九年二月
智頭町教育委員会
特段の大発見はなかったようだが、築造された七世紀前半といえば聖徳太子や蘇我氏の時代である。古墳の主は中央とどのような関係を築いていたのか気になるところだ。
私はこの日、用瀬アルプスを三角山から景石城へと縦走し、心地よい疲れとともに智頭から県境を越え、津山方面に向かおうとしていた。ルートは2つあり、一つは国道53号の黒尾峠越え、もう一つは県道6号の物見峠越えである。
快適に走行できるのは黒尾峠ルートだが、物見峠ルートは豪雨災害による通行止めで未走破だったため、今回はこちらに車を走らせた。二車線道路を快走していると右手に何やら説明板がある。これが富沢古墳である。
古代にも交易があったから、この二つの峠越えはさかんに利用されたことだろう。どちらがさかんか問われたら、黒尾峠越えだと答えるだろう。黒尾峠ルートを土師谷、物見峠ルートを富沢谷というが、土師谷のほうが古墳の数が多いからだ。
とはいえ富沢古墳は、富沢谷の出入りを管理するかのように、谷の最奥部に位置する。物見峠ルートの管理人の墓だったのかもしれない。近年ネット通販がさかんになったはいいが、物流業界の人手不足が深刻化している。古墳時代に物を運んだのは、どんな人々だったのだろうか。
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