美作三湯とは湯郷、湯原、奥津の三名湯だが、観光客が一番多いのは湯郷温泉である。もちろん関係者の努力の賜物であろうが、高速道路から近いなどアクセスが良いことも見逃せない。大阪から2時間ほどで来ることができる。本日は湯郷を守る山城の探訪記である。
美作市三倉田(みくらだ)に「三倉田城跡」がある。ここは頂部から北へ下った広い曲輪で、北辺から東辺に続く土塁がある。
北辺の防御は手厚く、土塁の向こうは帯曲輪、斜面、そして畝状竪堀がある。
頂部の主郭からは吉野川両岸の街が見える。この地は東西交通はもちろん南北に通じた交通の要衝である。いったい誰が城主だったのか。『日本城郭体系13広島・岡山』その他の城郭一覧636三倉田城の項には、次のように記されている。
英田郡美作町三倉田
城主は広幡某。康安年間落城。
康安とは北朝後光厳天皇の元号、西暦では1361年から翌年にかけてに相当する。そんな時代に畝状竪堀があったと思えないし、広幡某もよく分からない。以前の記事で近くにある三星城、林野城を紹介した。その林野城は康安元年に、足利氏に背いた山名氏の侵攻により落城したという。三倉田城も同様な状況だったのだろう。
ただし、畝状竪堀が築かれた戦国末期の情報は何もない。おそらくは天正七年(1579)の三星合戦で、三星城と運命を共にしたのだろう。これだけの規模を誇りながら文献にほとんど登場しない三倉田城。整備すれば美しくて眺望の利く史跡公園になるだろうが、湯郷側からのアクセスは容易ではなく、温泉帰りにちょっとというわけにはいかない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。