今は消滅した岡山県御津郡は南北に細長い行政区画で、南の福浜村は海に面していたが、北の江与味(えよみ)村は美作に接していた。江与味は現在、久米郡美咲町に属している。御津郡は備前、久米郡は美作。マージナルな場所ならではの争奪戦があったのかどうか。ここには、優れた山城がある。
岡山県久米郡美咲町江与味に「江与味城跡」がある。備前最北端の山城である。
この城の見所は三重堀切である。急勾配の地形なら天然の防御だが、平坦な場所にはあえて凹凸を施さねばならない。何もなければ駆け抜けられそうな平坦な尾根だが、三つの堀切が行く手を阻んでいる。
江与味地区はけっこう交通の要衝で、特に印象的なのは国道429号の江与味橋である。室戸台風の災害復旧に伴って建設された橋梁群の一つで、ワーレントラスの構造が昭和的で美しい。ただし、倉敷と津山を結ぶ主要道にもかかわらずダム湖沿いの道が狭隘で危険なため、現在、江与味地区内をトンネルで抜けていくバイパスルートが整備されつつある。
また、県道49号で高梁とつながり、県道370号を北上すれば落合に行ける。江与味橋を渡れば、県道30号で岡山方面に向かうことができる。戦国の世は道路事情がまったく異なるものの、各方面のルートは存在しただろう。その要衝を押さえていたのが江与味城であった。
この城に拠っていたのは誰であろうか。『岡山県御津郡誌』第十五章城址戦跡「十九江与味村城址」には、次のように記されている。
八幡宮後の山頂にあり、草木繁茂其の城址認めがたけれども山頂平坦通路に堀濠の跡あり、何人の居城なりしや詳ならず、新山方面より美作への通路なれば天正時代の城址ならん。
「新山方面より」は県道49号のルートである。重要な位置にありながら城主が不明だという。『岡山県中世城館跡総合調査報告書(備前編)』では「伝承では大野修理の居城とされる」とあるが、大坂の陣の大野治長しか思い浮かばない。
国道429号のバイパスを北上すれば、江与味第一トンネルの手前で江与味城跡の山が見える。三重堀切で守られながらも忘れ去られそうな要衝の城を、せめてちらりとでも見やって、いにしえを偲んでいただけると幸いである。
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