今年は辰年であることから、各地の水族館ではタツノオトシゴの企画展示が行われているようだ。タツノオトシゴは龍の化身と呼ばれている。子だくさんで縁起がいいとか、オスが卵を守り育てるのが今どきだとか、カップルが向き合うとハート形になるとか、記憶を掌る海馬はタツノオトシゴに由来するとか、龍の化身だけあって運気は半端なさそうだ。
福山市新市町戸手に市指定重要文化財の「素盞嗚神社本地堂」がある。神社としては天満宮という境内社となっている。ご祭神はもちろん菅原道真公だ。
私たちは明治の神仏分離令以来、神と仏、神社と寺は別物だと考えている。にもかかわらず、信仰においては「神様仏様」と救いを求めるうえで区別することはない。実際、分離令以前は神仏混淆が一般的な宗教形態であり、神は仏の化身だと考えられていた。神仏の世界に神界と仏界があるとしよう。それぞれの世界に住む神たちと仏たちにも、似たようなキャラはいるもので、分かりやすい一例がアマテラスと大日如来である。アマテラスは大日如来の化身とされ、どちらも太陽がイメージだ。
素盞嗚神社そのものの御祭神は、その名のとおり素盞嗚尊(スサノオノミコト)であり、スサノオは牛頭天王の化身とされる。どちらも荒ぶる神仏だ。天満宮の菅原道真公は十一面観世音菩薩の化身とされる。どちらも慈悲深く庶民から人気が高い。このことが分かる説明が、お堂前の説明板と標柱に刻まれている。
本地堂
現在の天満宮は、もともと戸手祇園社(早苗山天龍院天王寺)の本地堂として建立されており、現在の社殿は延享三年(一七四六)に福山藩寺社奉行に対して本地堂の再建を申し出て延享五年(一七四八)に再建されたものです。その後、明治の神仏分離令により取壊されるところを、天満宮に変更して現在まで伝えてきました。再建時からの改修の痕跡は明治初期になされた若干の改変のみで当時の様子がほぼ完全に保存されています。
平成十年(一九九八)に、建物老朽化のために屋根の全面葺き替えと、若干の修復を行い再建時の姿に復元されました。
現存する本地堂は、全国的にも二十例しかなく広島県内でも二例のみ確認されています。特に、全国の祇園社で本地堂が現存するのは当社のみで、本来の祇園信仰の祭祀形態をとどめています。
平成十八年十月建立元は戸手祇園社(早苗山天王寺)の本地堂(観音堂)として延享五年(一七四八)に再建されたものである。
明治の神仏分離令の際、須弥壇等を撤去し神座を造り天満宮とした。一八世紀初期の三間堂の寺院建築がよく残っている貴重な建物。
福山市教育委員会
スサノオ←素盞嗚神社←天王寺←牛頭天王、菅原道真←天満宮←本地堂←観音堂←十一面観世音菩薩、という関連があるように見える。ただし実際に本地堂に祀られていたのは聖観音だそうだ。建物は確かにお寺の雰囲気で、神仏混交の貴重な痕跡だと分かる。広島県内の二例とは、ここ素盞嗚神社と広島東照宮の本地堂である。東照宮のそれは被爆建物としても知られている。
アバターはインド神話で登場するアヴァターラ(化身)が語源だそうだ。ヒンドゥー教によれば、ブッダでさえヴィシュヌ神のアヴァターラであったという。真の世界である天上界からアバターとなって仮の世界である人間界に現れたというのだ。
報道によるとアバターで通える通信制高校(勇志国際高等学校)が日本で初めてできるそうだ。この高校は仮想空間にあるように見えて、そこで頑張るアバターは現実の高卒資格を取得できるのだ。こうなると化身はどっち?本地も垂迹も関係なさそうだ。習合の時代が間もなくやって来る。
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