今年も食べそびれたが、岡山といえば桃、白桃である。そして、岡山といえば桃太郎である。しかし、桃太郎の桃は白桃ではない。白桃は丸いが、どんぶらこのの桃は先が尖っている。何という品種か気になって調べてみると、天津桃だという。おそらく桃太郎伝説が形成された時代には、白桃はなかったのだろう。では白桃は、何時からあるのだろうか。
岡山市東区瀬戸町塩納(しおのう)に「大久保重五郎翁顕彰碑」がある。岡山県知事加藤武徳の書である。後に加藤武徳は自治大臣となった。武徳の弟六月は農林水産大臣、六月の娘婿が自民党総裁選に立候補した勝信である。岡山県4人目の首相を目指したものの、9人中最下位だった。人集めだけが実力ではない証拠に、このたびの石破内閣で財務相に迎えられた。実務能力には定評がある。
話がそれてしまった。重五郎翁はどのような方なのか。肖像がある説明板を読んでみよう。
白桃発見の地
岡山の代表的な特産品である白桃は、大久保重五郎が発見しました。
重五郎は、慶応3(1867)に岡山市東区瀬戸町塩納(しおのう)山の池の農家に生まれ、青年時代に小山益太(こやまますた)の農業塾に入門、明治32年(1899)に上海桃の実生から優秀な新品種を発見・育成し、「白桃」と命名しました。
また、大原農業研究所で園芸を担当し、噴霧器、剪定ばさみ、葡萄間引きばさみを考案して、果樹園芸の発達に努めました。
退官後は、同所から自園に持ち帰った桃の交配を研究し、昭和2年(1927)、新品種「大久保桃」を作り出しました。大久保桃は、岡山県が桃の産地として名声を得る基盤となったのです。
重五郎翁の師匠は小山益太、楽山翁である。明治28年に「金桃」という新品種を生み出したパイオニアで、大原孫三郎の招きで大原農業研究所の園芸部指導者として活躍した。教えを受けた重五郎は明治32年に「白桃」を発見した。どちらも「上海水蜜桃」の偶発実生だという。日本の桃の源流はここにある。研究熱心な重五郎は昭和2年、白桃から偶発実生した新品種「大久保」を生み出し、かつては桃の代表品種として知られていた。
自然発生による新品種登場には、偶発実生の他に枝変わりという突然変異がある。さらに積極的な異種交配によっても新品種が誕生しており、国内だけでも100種類以上あるらしい。人気の黄金桃も川中島白桃の枝変わりだという。大久保翁の白桃発見は、我が国の果樹栽培の歴史において、まさに画期的な出来事だったのである。
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