アララト山の標高4000m地点でノアの方舟の残骸が発見されたという。旧約聖書の伝える大洪水はやはり本当だったのか。干拓地なら「ここが海だった」と言われても納得するだろう。海から遠い場所で海の証拠が見つかったケースは「二千万年前に津山は海だった」でレポートした。標高が高い場所に舟が着いたという有り得ない伝説は「かつて日本沈没していた証拠か!?」で紹介した。
総社市原と中尾の境あたりに「塩掛の滝」がある。赤い岩肌を滑るように水が流れ落ちる。
涼を誘う滝姿も然ることながら、滝にまつわる伝説が面白い。山陽新聞サンブックス『岡山の滝』に、次のように記されているのだ。
『言い伝えによると、太古はこの辺りまで海だったとかで、潮水が飛び散っていたのが名前の由来』と、里の古老は言う。
植松の水内橋を渡り、原地区の山田から滝山に登る中腹の左下谷間に滝が望める。
昔は谷川沿いに滝を見ながら滝山に登っていたものだそうだ。
確かに、道沿いに滝が見えて、アクセスは容易だ。太古はこの辺りまで海だったというが、標高は170mくらいありそうだ。岡山県南はほぼ水没、まさに日本沈没の言い伝えと見ることができよう。
だが、潮水が飛び散っていたという証言は、「塩掛」から潮が掛かったと発想しているような気がする。そこで注目したいのは岩肌だ。赤黒い岩肌をさらさらと水が流れ、濃い色の器に塩を落としているように見える。以前に「千代に八千代に三億年」で紹介した「塩滝」は岩肌が黒いから、水が塩のように白く見える。そう見えたから、そう名付けられたのであろう。
日本沈没の記憶が残るとすれば、縄文海進が考えられる。しかし、これとて年速1~2cmだから、その後の記憶に残るほどの出来事ではなかったはずだ。だが改めて考えると、今進行している地球温暖化は現代の海進に思えてくる。塩掛の滝伝説は、海進に対する警鐘なのかもしれない。