居眠りして恥ずかしかった時、「マット・ビオンディに襲われた」とか「イアン・ソープには勝てない」と言い訳して、余計に痛い思いをしたことがある。
恥の上塗りで解説すると、睡魔とスイマーの掛詞である。本日は、昭和日本の誇り高きスイマー、田口信教(たぐちのぶたか)ゆかりの地である。
西条市上市の新池のほとりに「田口信教記念碑」がある。平成15年に建立された。新池は農業用のため池で、水は遥か遠く面河ダムから、四国山地を越えて届けられている。
平泳ぎといえば「チョー気持ちいい」の北島康介選手を思い出すが、オリンピックの100m平泳ぎで金メダルを獲得したのは、北島康介と田口信教だけである。
金メダリスト田口選手と新池には、どのような関係があるのだろうか。記念碑の銘板を読んでみよう。
金メダリストを育んだ 新池
田口信教は1951年6月18日、壬生川町国安で生まれる。田口が進んだ壬生川町立西中学校には、プールはなかったが、石原和夫は新池をプール代わりとし、水泳部を作っていた。田口は水泳部に入り、めきめき才を発揮する。中学2年生の時、全国中学生選抜水泳大会100m平泳ぎに出場し、3位入賞を果たした。それを契機に日本そして世界へと飛躍していく。オリンピック3度出場した田口の水泳人生の始まりは、この新池からである。
3度のオリンピックとはメキシコ、ミュンヘン、モントリオールのことで、このうちミュンヘンでは、1分4秒98という世界新記録で優勝した。その時の様子が碑の裏面の銘板に、次のように記されている。
1972年8月30日、ミュンヘンオリンピック100メートル平泳ぎ決勝が始まる。50メートル折り返し地点では7位だった。日本中のため息が聞こえてくる、もうだめだと。しかし、感動のドラマが始まる。後半ラストスパート、抜く抜く抜く、残り25メートル、ついに先頭をとらえる、そして逆転した。世界新記録、金メダル獲得。
この新池こそが一人の少年に輝かしい未来を約束させた。
安全第一の昨今にため池で泳ぐのは考えられないが、施設の充実だけが偉大な選手を輩出する要件でないことが分かる。「王様」ペレも少年時代はぼろ布を丸めたサッカーボールで興じていたという。英雄によく語られる伝説的な苦労話である。
我が国のスイマーとして現在もっとも有名なのは、池江璃花子選手だ。21の日本記録を持つ高校三年生で、来年度から日本大学に進学するそうだ。傍目には天才としか思えないが、おそらく様々な困難を乗り越えてきたことだろう。努力のないところに何も生まれない。
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