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狐に化かされる話は母親から何度も聞かされた。野壺にはまったおっさんが「ええ湯じゃ」と温泉気分だった、というものだ。その頃はうちにも野壺があったので、状況を脳内で映像化することができた。「あの野壺に!?ギョエー」と妙に印象に残り、今も忘れられずにいる。
哲学者の内山節さんは、昭和40年を境に日本人は狐に化かされなくなった、と指摘している。(講談社現代新書『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』)高度経済成長によって科学的、合理的な見方・考え方が広まり、自然と一体化していた生命感が変化したというのだ。
そうだろう。狐に化かされなくなった時代に生きてきた私にとって、狐と人間のかかわりは『ごんぎつね』か母親の夜話か、遠い世界の物語のように思える。本日は、狐に化かされたのだが、みじめな思いをしたのではなく、おかげがあったというありがたい話をすることとしよう。
岡山県久米郡美咲町新城(しんじょう)に「立岩様」がある。
岩に注連縄がかけられているので信仰の対象になっていることが分かる。いったい、どのような物語があるのだろうか。説明板を読んでみよう。
ある夜、見なれない子が岩に縄を掛けて、一所懸命に背負おうとしているところへ人の好い若者が通りがかり、憐れんで「どりゃ、わしが 背負ってやろう。」と、子どもと替わった。だが、いくら頑張っても岩はびくともしない。それでも若者は夢中になって岩と取り組んでいた。いつの間にか朝になってそこを通りがかった里人が「また狐にたぶらかされたな。」と一喝した。「ほい、しまった!」と正気付いた若者は、次の瞬間、踊り上がって歓声をあげた。「おかげで足の痛いのが治ったわい!」
それ以来、村人から立岩狐と呼ばれ、足の痛い者は岩に縄を掛けて背負う真似をすると足の痛いのが治ると伝えられている。
美咲町教育委員会
化かされて気の毒な人を嗤っておしまいではなく、化かされた人が得をするのがストーリーとして清々しい。しかも、「動かねえ、くそーっ」「おい、あんた狐にだまされてるぞ」「えっ、しまった」と、ここまではよくある話だが、次の瞬間に「足の痛いのが治ってる!」と躍り上がって喜ぶという劇的な展開をみせる。
夜中に子どもが岩を背負おうとしているのである。「こんな夜中に危ないぞ。さ、家に帰りなさい」と諭すことができたらまだましで、気味悪がって近付こうとしないかもしれない。おそらく、あの子どもこそ、狐だったのだろう。若者の日頃からの信心に応えたか、代わりとなって必死で背負おうとする一途な姿勢に心打たれたのか、狐は若者の足の痛みをとってやったのだ。
何度も同じ場所を通って目的地にたどり着けないのも、狐に化かされているのだという。ある山城で本丸に登ったのはいいが、帰りは見たことのない場所に下りてしまい、本丸に引き返して再び下りたら、また同じ場所だったことがある。狐につままれた気分で自分の正気を疑ってしまった。
令和になっての出来事だから狐のせいではあるまい。道なき道を下りながら私が思ったのは、姥捨山のお母さんのように、木の枝で道にしるしを残しておいたらよかったな、ということであった。