公私混同、政治とカネ、権力と忖度…。汚職事件の構造は永遠に変わらないかのようだ。菅首相ご長男による接待、首相への忖度、ご長男への便宜供与、と総務省官僚がいろいろと気を遣っていたという。デジタル化を先導する役所であるが、テクノロジーの進展ほど役人の倫理感は向上しないようだ。
赤磐市酌田(しゃくだ)の水分(みくまり)神社裏に「広虫・真綱の墓」がある。
墓といっても石が積まれているだけで、草陰にありながら表示も何もないため、下調べなくして和気氏ゆかりの地と気付く人はいないだろう。あたりには、そこはかとないミステリー感さえ漂う。仙田実『和気清麻呂』(岡山文庫、平成9)には、次のように記されている。
この水分神社は元をいえば真綱の墓に奉仕するため建てた祠が始まりという(『赤磐郡誌』)。現在、同社本殿裏に石を盛った小塚があって、里人は「小守さま」とよび広虫の墓と言い伝えているが(『熊山町誌』)、『赤磐郡誌』によると、これは真綱の墓だという。
「小守さま」は石を盛っただけの露天の小塚であり、これが仮に真綱の墓としても、これに奉仕するために、建てた祠が大きい社殿をもつ水分神社に成長している点、歴史の変転に、ある不思議を感ずる。「小守さま」は現在つぶれかかっているが、以前は石ががっちり積まれ、墓域もはっきりしていたと古老はいう。
確かに、つぶれかかっている。登山で見かけるケルンのようだが、登山というほどではない場所にある。
和気氏といえば和気清麻呂、広虫は清麻呂の姉、真綱は清麻呂の五男だという。広虫については「『児童福祉の母』の流刑」で紹介したので、ここでは真綱に注目することとしよう。
六国史の一つ『続日本後記』巻十六の承和十三年九月二十七日条に、真綱の事蹟が詳しく記されている。注目すべき記述を抜粋しよう。
真綱稟性敦厚。忠孝兼資。執事之中。未嘗邪枉。
真綱には誠実で人情に厚いという天性があり、忠孝という資質を兼ね備えていた。事に当たっては、よこしまなことをした例がない。
天台真言両宗建立者。真綱及其兄但馬守広世両人之力也。
天台宗と真言宗の立宗は、真綱とその兄広世の尽力によるものである。
このように実直な官僚、真綱は承和十二年(845)、右大弁として法隆寺における公私混同事件を扱った。ところが、不正をただそうとする真綱らにクレームをつける者が現れる。後に応天門の変で有名となる有名な伴善男であった。
善男は裁判の手続きについて問題点を指摘し弁官を弾劾した。事態が紛糾するさなか、真綱は次のように言い残して亡くなる。承和十三年九月二十七日のことであった。
塵起之路。行人掩目。枉判之塲。孤直何益。不如去職。早入冥冥。
塵の舞う道を行く人は目をおおう。不正な裁判に独り直言したところで、何の益があろうか。もう職を去るしかあるまい。早く冥土に行きたいものだ。
正義がねじ曲げられるのを目の当たりにして憤死したのであろう。事実、伴善男はこの後、急速に出世する。うまく立ち振る舞った善男に対する論功行賞のように見える。どうも権力との癒着を感じざるを得ない。
現代日本に戻ろう。総務省幹部は文春砲が公開した会話について「私の音声」だが、放送事業についての話題は「記憶にない」と説明したそうだ。「記憶にない」はどれほど言われてきたことだろうか。汚職がらみの常套句である。コロナウイルスが舞うのも困るが、政界をおおう塵は権力が出す飛沫だけに厄介だ。