聖徳太子が偉大に思えるのは、かつての1万円札のせいだろう。岩倉具視よりも伊藤博文よりも、はるかにありがたい人物であった。手を合わせて拝みたいくらいの気持ちだ。これを聖徳太子信仰と呼んでいるが、一部の識者からは拝金主義と非難されている。
すみません。ウソを言いました。しかも以前に書いたネタとかぶってます。「太子信仰」というのは、聖徳太子が救世観音の化身あるいは大工さんの神様と信じるもので、奈良時代にはじまり中世に大いに盛り上がった信仰である。
関連する史跡として、これまでに「聖徳太子御廟」や「斑鳩寺」、伝説の岩などを紹介したことがある。太子は10人の話を一度で聞き分けることができたという異才だが、本日は、事の真相を夢で知ることができた、というレポートである。
奈良県生駒郡斑鳩町龍田四丁目に「鹿塚」がある。
「鹿塚」の下には「聖徳太子縁故之地」と刻まれている。いったいどのようなゆかりがあるのだろうか。説明板を読んでみよう。
伝説によると、聖徳太子が多くの家来をつれてこのあたりを通られた時、家来の飼犬と鹿とが喧嘩(けんか)をし、犬が鹿のすねにかみつき、倒れた鹿を見られた太子は傷の手当てをして逃がしてあげられました。
数日後、再び犬が鹿を追いかみつき、鹿の足を三つに折り、鹿はひとたまりもなくかみ殺されてしまいました。
太子は、宮にお帰りになり夢殿に入られて、このできごとを深くお考えになられ、これは、前世の宿業によるもので、嫉妬(しっと)からきた、うらみの深さをおそろしいものだとお悟りになられました。
そしてうらみの深さをいつまでも伝えることのないようにと、死んだ鹿の冥福(めいふく)を祈って墓を造ってあげられ、時が流れて犬もこの世を去りました。太子は鹿の墓のそばに犬の墓も造ってあげられたといいます。
今の鹿塚の碑は地元の方によって、この伝説を忘れないようにと建てられたものです。
太子のお優しい御心を伝えるエピソードだ。このような話には多くの場合、出典があるものだ。似たような話を求めて、古文献をあさってみた。
すると、平安時代に成立した『聖徳太子伝暦(でんりゃく)』にぶつかった。聖徳太子信仰の基盤となった重要な書物である。「太子御年四十三」の項を、書き下し文で読んでみよう。参考:岡田諦賢編『聖徳太子伝暦訳解』(哲学書院、明治27)
三月、太子の舎人(とねり)宮池の鍛師(かなち)の壮犬鹿の脛(はぎ)を齚折(くひお)る。太子視て之を痛(いたみ)て舎人をして之を放たしむ。復(また)同(おなじ)き犬同き鹿之四脛を齚ひ折る。三段と為しつ。太子之を恠(あやしみ)て誓て夢に之を視る。其縁を識(しら)んと欲して夢殿に入玉ひ夢見玉ふに、艶(うつくしき)僧東方より到(いたり)て、太子に謂(いひ)て云く、此鹿と犬と過去の宿業(しくごふ)なり。鹿は嫡(むかひめ)たり犬は妾(そばめ)たり。時に嫡は妾の子之脛を折る。之に因(より)て九百九十九世に怨(あだ)を結(むすび)て来り、今に千世正に満足するのみ。古人云聖人は夢みずと。而るを儲君の聖性物に通じて知て達せずと云をなし、如来の妙義、何(いずれの)義か徹(とお)らざらん。而るに辞(ことば)を夢見に託して鄙俗(ひぞく)に信ぜしむ。独(ひと)り恣(ほしいまゝ)に説かば、邪枉(じゃわう)にして疑(うたがひ)を致す故に此言(このことば)あり。
推古天皇22年(614)3月のこと、太子の家来宮池の鍛師(かなち)の若い犬が、鹿の足を噛んで折ってしまった。太子はこれを見て心を痛め、家来に逃がしてやるよう言った。しばらくして、同じ犬がまた、同じ鹿の四足に噛みついて三つに折ってしまった。太子はこのことを不思議に思い、夢で再現することとした。出来事の意味を知ろうと夢殿に入り、こんな夢を見た。
美しい僧が東方からやってきて、太子に言った。「この鹿と犬の争いは過去の行いの現れです。鹿は正妻で犬は側女。ある時、正妻は側女の子の足を折ったのです。このことを、側女は999回生まれ変わっても恨みに思い、千回目の今、やっと満足したのでございます。むかしの人(荘子)は「聖人に夢なし」と言いました。しかし、皇太子さまの崇高さは、万事に通じ、知ろうとして分からぬことがないことであり、如来の崇高な目的が実現されぬことがないのと同じです。夢の中の出来事として分かりやすく語り、民衆に信じさせてください。ひとりよがりに説法すれば、正しい道から外れ、疑念を生じさせるがゆえに、このように申しているのです。」
なるほど、説明板を読んだ時には、なぜ犬が鹿に「嫉妬からきた深い恨み」を抱くのか分からなかったが、原典を読んで納得した。原因は、児童虐待に対する根深い怨恨であった。
そりゃ恨んで当然だし、このような恨みを簡単に忘れ去るなんてことはない。そして、恨みの感情は、容易に報復へと発展しやすい。聖徳太子の夢によれば、千回生まれ変わっても忘れることのできないほど、恨みは根深いのである。
「恨みからは何も生まれません。憎しみの連鎖が続くだけです。祈りなさい。汝の敵を愛し、憎む者に親切にしなさい。呪う者を祝福し、辱める者のために祈りなさい」そのように聖徳太子が民衆に説いたかどうかは知らない。ただ「和を以て貴しとなす」、これは確実に太子の言葉である。