近くに溜池がないので、その有難みを知らない。私の地域で灌漑に必要なのは、一級河川から取り入れた用水である。これまで渇水で困ったことはない。逆に、床下浸水で困ったことなら二回ある。
本日は明治に造られた溜池のレポートである。その名は「明治池」。
井原市西江原町に「明治池記念碑」がある。
細長く大きな溜池である。溜池には、満濃池を空海が2か月で修築したとか、国兼池の改修には人柱が立られたとか、さまざまな伝説がある。それだけ難工事だったのだろう。碑文を読んでみよう。
大業の蔭には苦節がありこれを敬仰するは人の誠である古記によればこの池を養水の源とする井原市西江原町東部一帯八十余ヘクタールの水田は旱害による凶作が相い続き農民の悲嘆は言語に絶するものがあったこの憂苦から逃れるため溜池新設を希求する声は積年の久しきに亘ったがその適地が西江原町にない上主唱者がなくために実現の機を逸していた折しも明治十六年稀有の旱害に見舞れたのを契機に当時西江原村の地主大山邦一は築池を発議し有志に諮り後に庶務長となってその用地を山野上村字口の淵に選び関係地主百六十余名の協力と合財を得て明治二十一年十二月渓流の落ち合うこの山峡をせき止め谷底の磐石に隧道を穿ちこれを底樋として堤塘を築く堅固豪放大規模の築池工事の工を起こした然して当時山野上村の地主三村政太郎はこの池の工事長を司どり両者比肩共励その他役員協力して鋭意築池の進捗を図ったが何しろ全長七十六メートル余の隧道工事は無比の堅巌のため難工を重ね多額の費用を要したため坑夫の不錬をなぢる一方貫通の目途ないことを理由に関係地主の中には連判の上築池の中止を策するなど幾多難局はあったが関係役員不屈の努力は遂に実を結び明治二十四年七月二年七ヵ月の歳月と総事業費六千三百余円を費し貯水面積五ヘクタール余のこの池は見事完工の歓びを迎えた時の元号を採り明治池と名付けその恵沢は支配地域一帯を潤しつつ今日に及び漫々たる池水は晴好雨奇松影の緑を映じ故人の偉業を讃えつつ観光の絶佳をも誇っている茲に紀念碑を建てその事跡を永遠に記録する
昭和三十六年春日野上町住三村煕撰
井原市長 従三位勲一等大山文雄書
擬古文のような古い言い回しはあるが、前時代の撰文に比べれば読みやすい。さらに分かりやすい文章を求めるならば、道を西へと進んで公園駐車場にある説明板を読むとよい。
明治池のあらまし
「大業のかげには苦節があり、これを敬仰するのは、人の誠である。……」
まわり四キロメートル、最深部十八メートルという豊かな水量を誇る明治池築造碑に記された言葉です。明治十六年、大干ばつが西江原村をおそいました。これによって、雄神川の水脈をたよりとする西江原村戸倉、小角、今市、長谷一帯の地は、水不足から、田畑ともに大不作となりました。そのため、人々は、くらしに大変困るようになりました。
そこで、これを救おうと、当時県会議員であった三村政太郎や西江原村役場助役大山邦一たちが中心となって、明治十九年、明治池を作る計画をたて、同二十一年、工事を始めました。
工事は、山野上村(野上町)と青野村(青野町)との川のおちあう谷をせきとめて池をつくるものです。大きな岩をくりぬいて、七十六メートルものトンネルをほる工事は、大変むずかしいものでした。のみでほっていくため、一日十センチメートルほどしか進みません。夜にげをする石工も出ました。また、このような難工事のため、初めの計画よりもたくさんのお金がかかりました。人々の間からは不満の声もあがり、工事を中止させようとする動きさえでるようになりました。しかし、二人の「必ずやりとげる」という固い決意はかわりませんでした。
こうして、多くの人たちの苦労と努力によって、明治二十四年七月、二年七ヶ月の年月と六千三百円(当時のお金・明治二十一年の米価は一石四円二十七銭)の費用をかけて、明治池が完成しました。明治池のおかげで、西江原村や下流の村では、たくさんの畑が水田と変わり、米作りが一層さかんになりました。
その後、「明治池」落成式が、知事出席のもと、才児の永祥寺にて行われました。その日、三村政太郎、大山邦一は、並んで表彰されました。明治二十九年、若葉のにおう五月のことでした。
明治池の水が、「道祖渓」を通って流れ、みごとな滝になるところもでき、岡山県指定の名勝地になりました。
(郷土読本「にしえばら」より)
要するにこうだ。旱魃に苦しむ西江原地区の雄神川流域は、十分な稲作ができるほどの水量が確保できず、畑が多かった。これを改善するためには溜池を造るほかない。三村政太郎や大山邦一という地元の人々が動き始めた。しかし、立ちはだかったのは大きな岩、難工事、そして、人々の不満…。それでも、二人は決意していた。「必ずやりとげる」だだんだだんだだん♪風の中の昴~
明治池と道祖渓を結ぶ底樋が難工事だったというのだ。道祖渓の美しさは地形の複雑さにあり、それ故に作業は困難を極めた。美観と水利を提供している明治池が湛える水には、困難に立ち向かった人々の熱い思いが溶け込んでいるのだろう。