岡山県北の旧美作国は、なぜ「美作(みまさか)」なのか。諸説あるが、私の推しは「美酒(うまさか)」に由来するという説。何といっても「御前酒のまにゃあ、ええ酒じゃ」と謳われた地酒があるのだ。他には、川と坂が多いという地理的特徴をとらえた「水間坂(みまさか)」説、「三坂(みさか)」という地名由来説もある。本日は三坂山に登ったという話をお届けする。
真庭市樫西(かしにし)に「足尾滝」がある。真庭市指定の名勝である。
米子自動車道に摺鉢山トンネルという長大な隧道がある。4kmあるから時速100kmで走行すると何分何秒かかるかという問題を解きながら通過するのだが、トンネルを出るまでに計算できたためしがない。この日は計算から逃れるため、トンネル近くの一般道を山生川(やましょう)沿いにのぼって風流に滝見物である。
水は旭川に流れ込んでおり、地域を代表する名瀑として知られている。真庭市教育委員会『真庭市の文化財』(2010)「足尾滝」の項を読んでみよう。
摺鉢山を源とする小川が、山生川に流れ込む合流点の少し上流に位置しています。『作陽誌』には「不動崖は高さ20間、横7間」と記されています。時期不明ながら山生集落の人々が、湯原地区の粟谷にある足尾社の分霊を勧請して小祠を祀ってから足尾滝と呼ばれ始めたものといわれています。滝の落差は約23mを測ります。大山みちの脇道沿いにあり、かつては多くの人々が行き来しました。
道をしばらく車で進むと登山口がある。そこから七曲りの急坂を登ると大山みちに合流する。左へ進めば久世方面、右にへ進めば湯原方面である。ここはどちらにも曲がることなく直進し、三坂山山頂を目指した。辟易とするような急坂のため、上着を途中の木にくくりつけてゆっくり登る。やっとのことでたどり着いたのがこの山頂である。
真庭市樫西、釘貫小川、山久世の境に二等三角点「三坂山」がある。標高902.5m。湯原の街を望むことができる。
私が目指していたのは、山頂でも眺望でも三角点でもない。国名起源の碑という美作=三坂説の遺物であった。山頂にあるものと思って急坂に耐えてきたのにどこにもない。息を整え冷静になると、十国茶屋ではと気付いた。そっち方面に下り始めたがすぐに足を止めたのは、急坂の木にくくりつけた上着を思い出したからだ。同じコースを引き返して上着を回収し、大山みちに合流して十国茶屋跡に向かった。
真庭市樫西と山久世の境あたりに「国名起源の碑」がある。
ちょっとした広い敷地は茶屋跡にふさわしい。石碑は往来する旅人の話のネタとなるよう建てられたのだろうか。倒れかかっている説明板を起こして読んでみよう。
『十石茶屋跡と圀名紀元之の地』
岡山の足守~吉川~落合~久世~三坂山~釘貫~湯原~天王~内海乢を経て大山に通ずる大山みちの中で最も険しい所が三坂山越えであったとされている。さて、往時三坂山越えの南北に旅人のための宿場として明治初期頃まで、南に久世町三坂の宿、北に湯原町釘貫小川の宿があったが現在ではその機能は消失している。三坂山越えは三里(12km)の難路であったためだろう、「三坂三里は五里ござる」と詠まれている。昔はこの山道に盗賊が出没し、また冬ともなると丈余の積雪と吹雪のため道を失い、凍死するものが少なくなかった。まことに深山(みやま)険(さか)しき山であったといえよう。元禄5年(1692)頃津山藩主森侯は交通の安全を図るため口米三石を与えて旅人のためここに茶屋を開かせたという。この茶屋は津山藩主が松平侯に変ったとき一時途絶していたが寛政年間久世代官早川八郎左衛門により復活し年々十石の口米を給し峠の茶屋を守らせたとされている。このためこの茶屋を十石茶屋というようになり、久世代官所廃止後は松平侯により継続して十石を給し明治に及んだ。(明治8年北条県史に茶屋守給1ヶ年7円と記されている。)明治30年頃中島鼓岳氏が三坂山を越したとき弥衛門夫婦がぼろぼろになった茶屋に住んでいたという記録があり、明治40年頃まで存続したといわれている。また前庭の自然石を利用した碑には「圀名紀元の地」と彫り込まれている。建立の時期などは何も記されていないが美作の国という言葉が三坂山から由来しているともいわれている。
久世町
丁寧でとても分かりやすい。岡山県を縦断する交通路だったことが分かる。その最大の難所がこの地だったのだ。「三坂三里は五里ござる」の俗謡は「来いというたとて行かりょか湯原、三坂三里は五里ござる。またと行くまい湯原の湯へは、三坂三里は五里ござる」と謡うそうだ。岡山県歴史の道調査報告書第八集「大山道」より
急坂に喘ぎながら峠にたどり着いた旅人が茶屋のお姉さんから「美作ゆう国はね、山また山で、こんな道ばっかりなの。だから三坂と聞けば、あの山国かというくらい有名になってね。いつの間にか三坂が美作になったんよ。」と聞かせられたら、そりゃそうだと納得するだろう。
それでも私は美作=美酒説は揺るがない。御前酒の酒まつりで、密になって高笑いしていたあの頃が懐かしい。1枚で1合呑める5枚千円のチケットだったように記憶している。知らない人と旧知のように話をして「また来年会おう」と訳の分からない約束をした。旭川の川原で横なって休み姫新線で津山に帰ったのは、まだまだ日の高い昼間だった。ここは「うまさか」に間違いない