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津山の旧久米町に「糘山(すくもやま)」という独立山塊がある。独立峰ではなく山塊なので稜線が凸凹しており、どこが頂上だろうかと探してしまうくらいだ。ゴルフ好きな人なら久米カントリークラブの山と言えば分かりやすいだろう。頂上付近には山越えの旧道(山背越)を利用した遊歩道がある。
峠ではお地蔵さまではなく、千手観音像が出迎えてくれる。その向かい側には…。
むかしの道にはきまって、峠の茶屋という道の駅のような休憩所があった。そういえば今も国道484号の菊ヶ峠には西の屋というドライブインがある。津山へと向かうこの旧道には「天下茶屋」があったという。説明板を読んでみよう。
天下茶屋跡
天下茶屋は、神代から中須賀へ超える山背越のほぼ中間点にあり、明治時代のおわり(一九一〇年)頃まで残っていた。茶屋には糘山に住む母と娘が働いていた。
当時の状況をしのばせる歌が残っている。
行こか中須賀 帰ろか公文 九文の金で天下茶屋
(昔は、九厘で酒一合(肴の代金も)が飲めた)
津山見る見る天下茶屋 下りりゃ あひのふた村 雁が立つ
(あひのふた村は二宮と院庄のことである。吉井川には雁がたくさんわたってきていたのだろう。天下茶屋から津山方面がよく跳められていた)
倭文地区歴史と文化を語る会
行こか、帰ろかの都都逸は、以前の記事「ここが思案の福渡」でも紹介した。天下茶屋は大阪にあるが、こんなところにもあったとは。中須賀も公文もこのあたりの地名で、里公文(さとくもん)から糘山を越えて中須賀へ出れば、出雲街道や吉井川の舟着場がある。
すぐ近くに二等三角点「久米」がある。所在地は津山市久米川南と戸脇の境で、標高261.5mを示す。糘山の山頂はここだ。
向こうに見える立て札には「集石遺構」とある。石を集めた遺跡ならストーンサークルや大湯環状列石が有名だが、ここは暗褐色の石をただ集めただけに見える。『角川日本地名大辞典33岡山県』の「糘山集石遺構」の項には、次のように説明されている。
遺構は、人頭大よりやや小さいリンバーグ岩とよばれる輝石橄欖石玄武岩の転石を積み上げたもので、11基が確認され、うち6基が発掘調査された。遺構の規模は、1m前後のもの、5~7m前後のものとそれ以上のものに三大別されるが、高さはいずれも50cm程度である。
(中略)
石材の特殊性とあいまってその分布は限定的なものとなっており、同山塊内の他岩質の地域には存在しない。遺構の性格については不明だが、祭祀的なものの可能性が推定される。
平安末期~鎌倉初期の遺跡ということだが、いったい何なのだ。まさか与那国島海底地形のように、自然地形を遺跡だと勘違いしているのではあるまいな。山頂付近には似たような石がたくさん転がっている。そのリンバーグ岩の標柱は天下茶屋から南へと向かうと見つかる。
標柱を支えている岩がリンバーグ岩なのだろう。リンブルグ岩という言い方もあるようだ。旧久米町教育委員会によって立てられた標柱には「リンバーク岩」とクに濁点がついていない。岡山県市町村振興協会編『岡山県文化財総覧』久米町の部でも「リンバーク岩」と濁点のない表記になっている。説明文を読んでみよう。
稼塚一帯に産出する岩石。京大春木教授によって発見された。瑠璃基中に橄欖石、普通輝石等の斑晶を含むアルカリ玄武岩の一種。日本では珍しい岩石。
この文には誤植が二か所ある。稼塚ではなく「糘塚」、春木教授ではなく「春本教授」が正しい。京都大学の春本篤夫は岡山県出身の地質学者で、昭和26年にリンバーグ岩の存在を世に知らしめた。ただキラキラした石でもないので、素人目にはその価値が分からない。
山頂付近の平坦部を散策するだけでも、歴史的にも地理的にも、そして地学的にも面白いものに出会える糘山。国道181号にある道の駅「久米の里」のシンボル「ガンダム」が見ている山こそ糘山である。