ハイセイコー、シンボリルドルフ、オグリキャップ…名馬といえば思い出す競走馬だ。いや競馬はどうでもいい。歴史ドラマに馬は欠かせないが、名のある馬となるとなかなか出てこない。今日紹介するのは、あの有名な先陣争い(やはり競争だった)で活躍した名馬である。
大田区南馬込三丁目に「磨墨塚」がある。
磨墨(するすみ)というくらいだから黒毛の美しい馬なのだろう。角川書店の「日本の伝説」15『東京の伝説』に次のように紹介されている。
都営地下鉄一号線の終点は西馬込駅である。馬込という地名は牧場を意味する。このあたりは馬込九十九谷といわれたほど地形が複雑で、放牧の馬は谷の清冽な泉で喉をうるおし、原野を自由に疾駆した。駒込・駒沢・駒場などとともに、関東馬の産地だったものだ。
宇治川の先陣争いで名をあげた梶原景季の出生地はここで、名馬するすみが育ったところでもある。
さすがの名馬も寄る年波には勝てず、生地馬込で没したという。塚は西馬込駅の東方、大森ゆき東急バスで臼田坂上で下車するとすぐで、そこにするすみ塚の碑が立っている。
碑は明治33年に馬込村有志によって建てられたものである。近くに梶原景時(景季の父)の墓がある万福寺がある。まず梶原氏ありきで磨墨が後に付会されたものではないか。磨墨とそのライバル生月の伝説は各地に見られる。確かなことなど分からない。しかし、かつての東京が名馬の産地であったことに間違いはない。
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