いちばんぼーし、みーつけた。夕暮れの空を見上げて確かにそう言った記憶はあるが、その続きがあることは知らなかった。あれ、あの森の杉の木の上に、というそうだ。あれは、金星だったのだろうか、ヴェガだったのだろうか。
明石市人丸町の天文科学館前に「一バンボシミツケタ」の詩碑がある。理系と文系が天文でつながっている。
台座に全文が示されている。二番星、三番星と続くのも知らなかった。何も知らないので裏の碑文を読んでみよう。
この詩は文部省が編集した尋常小学国語読本巻一に大正七年から掲載され、二十四年間に亘って広く学童に愛唱されてきたものである。詩の原作者は当時明石女子師範学校教諭であった故生沼勝先生である。先生は後に明石高等女学校長、市教育委員として前後五十年近い生涯を明石市の教育と地方文化の開発に尽力された。その功績は真に顕著である。こゝに、教え子たちが相はかり、明石市の教育と文化活動関係者、一般有志の絶大な賛助をうけてこの美しくなつかしい詩を後世に伝えて人間形成の一助とし、あわせて先生の御遺徳を顕彰するものである。
昭和五十三年二月 一バンボシミツケタ詩碑建立会
「一バンボシミツケタ」の揮毫は文部大臣海部俊樹である。のちに首相となる海部は、昭和52年11月まで福田内閣で文部大臣に就いていた。
生沼勝(おいぬままさる)先生は三重県の出身、国語教師である。「一バンボシミツケタ」の詩は、大正7年の『尋常小学国語読本』に掲載され、昭和8年の『小学国語読本』に引き継がれ、昭和15年まで1年生用の教材として使用された。昭和7年から使用された『新訂尋常小学唱歌』にも採録された。作曲は信時潔で、「電車ごっこ」の作曲もしている。
この詩でどのような授業をしたのだろうか。当時の教師用指導書を参考に再現してみよう。
「夕方外で遊んだ時に、星の見つけっこをしたことがありますか。そのことを話してください」
挿絵の拡大図を掲示する。
「どこに星がありますか?」
「一番星はどれですか?」「二番星は?」「三番星は?」
教科書を開かせる。
「自分で読みましょう」
「何をしていますか?」「どんな場所ですか?」「時間はいつ頃ですか?」
「一番星を見つけた子は何と言いましたか?」「二番星を見つけた子は?」「三番星を見つけた子は?」
「みんな、アレと言っています。どんな気持ちでしょうか?」
「この子どもたちの気持ちになって、上手に読んでください」
「次に、暗唱してください」
「そして、ふしをつけて歌ってみてください」
「では、劇にしてみましょう」
数名の児童が遊んでいる。一番星の絵を出す。それを見つけた子が指さして
「一バンボシ ミツケタ」
「どこに?」「どこに?」と口々に言う。
「アレ、 アノ モリ ノ スギ ノ 木 ノ ウヘ ニ」
「あった」「あった」と口々に言う。その間に、二番星の絵を出す。それを見つけた子が指さして
「二バンボシ ミツケタ」
「どこに?」「どこに?」と口々に言う。
「アレ、 アノ ドテ ノ ヤナギ ノ キ ノ ウヘ ニ」
「二番星」「二番星」と口々に言う。その間に、三番星の絵を出す。それを見つけた子が指さして
「三バンボシ ミツケタ」
「三番星、どこ?」「どこ?」と口々に言う。
「アレ、 アノ 山 ノ マツ ノ 木 ノ ウヘ ニ」
「あった」「あった」と拍手する。
全員で「一番星みつけた」を歌う。
「教科書を見てノートに書き写しましょう」
「では、教科書を見ないでノートに書き写しましょう」
「うまく書けましたか?教科書を開いて確かめましょう」
どうだろう、今も昔も変わらぬのか、古い指導法なのだろうか。暑い季節が終わって、秋の夜長になった。星が綺麗に見える時期になった。夕焼けを見た後に一番星でも探してみることにしよう。