ケーブルカーはうまく真ん中ですれ違うなあ。そう感心していたら、それが当たり前とのことであった。ケーブルと車両を「つるべ式」でつなぎ、複線部では「溝車輪」の誘導により決められた方向へ分岐するようになっているのだ。
ふつうの鉄道とはちがうワクワク感があるケーブルカー。今日はその廃線跡を訪ね、往時を偲ぶこととしよう。
高松市屋島東町に「屋島登山鉄道(株)屋島山上駅」があった。「近代化産業遺産群 続33」(平成20年度)の一つ「社寺参詣や温泉観光・海水浴に端を発する大衆観光旅行の歩みを物語る近代化産業遺産群」の構成遺産となっている。
屋島ケーブルが開業したのは昭和4年。戦争前のこの時期は交通網の発達により、全国は観光ブームに包まれていた。ケーブルカーは、戦中・戦後一時期の休止を経て平成16年まで運行され、多くの観光客を楽しませた。
昭和55年発行の大石一句『屋島のあゆみ』「屋島登山鉄道株式会社」には、次のような記述がある。
年間利用客二十三万人余(五十三年度)。一時期五十万人を超える利用客で多忙をきわめ、乗客の切符を買う列が琴電駅近くまで列をなしたとか昔の語り草となっている。最近の交通事情の変化にともなって利用客も減少している。
昭和35年度には、ケーブルカー路線で全国トップの195万人の利用者があったという。翌36年には屋島ドライブウェイが開通し、マイカーの普及も相まって、同47年に屋島観光客は246万人のピークを迎えた。
だがその後、観光の多様化により屋島への客足は遠のき、平成16年にケーブルカーが終焉を迎え、同29年にドライブウェイも無料化された。自動車道は今年から「屋島スカイウェイ」という爽やかな名称で再出発している。
我が国の交通史を物語るかのような屋島ケーブルのあゆみである。廃線跡は将来、遊歩道として活用されるとも聞く。ケーブルもよし、自動車もよし。自分の力で登るもまた、よしだろう。遊歩道となった急斜面をゆっくり登り、山上近くのトンネルをくぐれば旧駅舎に到達。さらに屋島寺に参拝して帰途につけば、達成感のある屋島観光になりそうだ。
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