酒の歴史は、お茶の歴史よりも長い。古来から現代に至るまで酒は、多くの詩を生み出してきた。大伴旅人や若山牧水の呑んだ酒がそうであった。大陸ではすでに、陶淵明が「歳月人を待たず」と詠じながら呑んでいた。まさに飲み物の王者である。
河内長野市長野町に「西條合資会社旧店舗主屋」がある。登録有形文化財(建造物)である。
出格子(でごうし)と虫籠窓(むしこまど)が印象的な町屋で、幕末から明治初期にかけての建築と考えられている。西條合資会社は享保三年(1718)の創業で、「三木正宗」「波之鶴」という銘柄で出していたが、昭和46年に大名跡「天野酒」を復活させた。
搾りたて無濾過生原酒のラベルである。酒も美味いが榊莫山先生の書「天野酒」も味がある。では、天野酒とは何か。専門書をひもといてみよう。吉田元『日本の食と酒』(講談社学術文庫)より
天野酒は現在の大阪府河内長野市の真言宗寺院天野山金剛寺においてつくられていた酒で、はじめてその名が登場するのは永享四年(一四三二)年の『看聞御記(かんもんぎょき)』である。
『看聞御記』は伏見宮貞成親王の日記で、この時代の文献には「天野酒」がしばしば登場する。特に臨済宗寺院の公用日誌『蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)』では、「比類なき」銘酒と高く評価されているそうだ。
おもしろいのは、寺院と酒との密接なつながりである。厳しい戒律を守る僧侶の生活では、飲酒は不可のはずだ。なのに金剛寺では酒を造っている。酒造のみで飲酒はしていない。そんな言い訳が通用するだろうか。
中世の寺院は総合企業体であった。信仰の拠点であるほかに、学問の府、行政の府、芸術センター、そして豆腐や味噌、酒の生産に至るまで、さまざまな機能を有していた。
こうした環境で醸された「天野酒」は、当時の富裕層に愛飲されたものの、江戸前期の明暦年間に製造が中止されたという。それは、幕府の寺院統制の強まった時期でもある。
幻の酒「天野酒」。いったいどのような味だったのか。西條合資会社には「豊臣秀吉愛飲之復古酒 僧房酒」という商品もある。かなり濃厚で甘いそうだ。クリームチーズにも合うというから 、一度試してみたいと思っている。
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