長いドライブで疲れを感じたころ、「道の駅」の案内板が見つかるとホッとする。食事にするか、トイレも済ましておこうか、ついでにお土産も…と、私たちの旅を快適にしてくれる便利なスポットである。
便利さを求めているのではなく、道の駅そのものを到達目標とするドライバーもいるという。私はこの日、歩いて道の駅を目指していた。そしてたどりついたのは、古代山陽道の駅(うまや)であった。
赤磐市馬屋に「古代山陽道高月駅跡」がある。道の駅とはいえ施設は何もなく、鉄塔と説明板があるばかりだ。
写真では看板が3つ見えるが、手前の小さな説明板は「高月(たかつき)村役場跡」を示している。昭和28年に合併して山陽町になるまで、村役場がここにあった。鉄塔の向こうの大きな看板は選挙ポスター用である。ここでは、真ん中の説明板を読むことにしよう。
ここは古代山陽道高月駅跡です。古代の山陽道は大宝令(七〇二年発布)に定められた日本国内唯一の大路で、京都から九州・太宰府へ通じる国道として、政治的にもまた軍事的にも最も重要な路線でした。
奈良時代に記された「延喜式」によれば、備前國にある山陽道の駅(うまや)は、坂長駅、珂磨駅、高月駅、津高駅の四駅が記載されています。当時の駅は、重要な交通手段であった馬の中継所、休憩所で、「馬屋(まや)」という地名から、古代山陽道の高月駅跡をこの地に推定しています。
ここから北に三五〇メートル離れたところで、山陽自動車道建設に伴う発掘調査がおこなわれました。出産児の胎盤を入れた胞衣(えな)容器を埋め、その下には和同開寶を埋めた跡と、公的な施設と考えられる奈良時代の建物跡四棟が確認されています。
高月駅との関連でも興味深いものとなっています。
説明板の前に「岡山県道27号岡山吉井線」という大きな道がある。岡山や赤磐市民には欠かすことのできない主要道路だが、我が国の最重要路線とは言えない。ところが、古代にはここを国道1号が通過していたという。
上の写真は「津高駅」(岡山市北区富原)に向かう西方向が写っている。反対方向を向いてみよう。
古代の道の駅を示す貴重なバス停、「馬屋(まや)」である。駅(うまや)はその名のとおり馬を提供する施設で、食事や宿泊もできたという。現代の道の駅にカーシェアリングとホテルの機能を加え、特産品販売を除いたようなものだろうか。
この写真は京へ向かう東方向が写っており、駅は珂磨駅(赤磐市松木)、坂長駅(備前市三石)、播磨に入って野磨駅(赤穂郡上郡町落地)、高田駅(上郡町神明寺)、布勢駅(たつの市揖西町小犬丸)、大市駅(姫路市太市中)と続いていく。このうち野磨駅と大市駅は、このブログで紹介したことがある。
これら古代駅を地図に置いて、現代の「大路」である国道2号と比べてみよう。野磨駅と坂長駅の間にある船坂峠を越えるルートは同じだが、それ以外はけっこう別ルートだと分かる。坂長駅から珂磨駅にかけてはJR山陽本線と、珂磨駅から高月駅、津高駅にかけては山陽自動車道と、それぞれ似たようなルートである。
高月駅跡である「馬屋」バス停から東方面に少し進むと、道は山陽自動車道の高架と交差する。つまり、この地は古代においても現代にあっても、交通の要衝であることに変わりないのだ。この地は、交通地理学の研究対象にうってつけの場所ではないだろうか。
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